欧州サムライ戦記BACK NUMBER
代表でも、クラブでも輝くために。
清武弘嗣が放った“復活”のミドル。
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byBongarts/Getty Images
posted2014/02/27 16:30
フェルベーク監督は清武のPK失敗についても、「彼はこれまでもチームで一番のキッカーだったし、ミスは誰にでもあるものだ」と信頼厚いコメントをしている。
山口蛍のアドバイスに清武は光明を見た。
一方、ニュルンベルクでは2013年10月8日、ビージンガー監督が成績不振で解任された。22日、元AZのヘルトヤン・フェルベーク監督が就任。サイドを使った攻撃的サッカーでチームを建て直そうとしたが、序盤の悪い流れをなかなか止められなかった。結局、前半戦は11分け6敗と勝ち星がなかった。
「代表はベルギー戦までなかなか勝てんかったし、チームも勝てん。監督が替わっていいサッカーをやり始めたけど、結果がついてこなかった。なんでだろうって、ずっとモヤモヤした気持がつづいていた」
清武を救ったのは、ウインターブレイクだったという。
日本に一時、帰国した時だった。
山口蛍に「代表、代表って先ばっか見過ぎ。代表はクラブでの活躍の先にあるもんやろ。まずクラブで結果を出して、切り替えて代表に行かな、どちらも100%で行けへんぞ」と、言われた。
清武自身、それは自分でも気付いていたことだったので、「痛いところを突かれたなぁ」と思ったという。
「チームで輝けないと代表でも活躍できない」
「確かに昨年、代表もニュルンベルクも集中できなかった。代表にいっても100%代表に 集中できていなかったし、チームでプレーしていても代表のことが50%ぐらい頭に残っていた。代表に生き残りたいとか、先のことばっかり考えて、うまく切り替えることができず、すごく中途半端だったんです。その結果、両方でいいプレーができなかった。でも、蛍に言われて、その通りやなと。チームで輝けない自分が代表でいいプレーできるはずがない。クラブ優先とかではなく、目の前のこと、自分が今、やれることをしっかりやらなダメだなって思ったんです。
チームもウインターブレイクがあったおかげで切り替えることができた。あのまま行っていたらズルズルと行っていたと思うんで、チームにとっても自分にとってもウインターブレイクは大きかった」