欧州サムライ戦記BACK NUMBER
代表でも、クラブでも輝くために。
清武弘嗣が放った“復活”のミドル。
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byBongarts/Getty Images
posted2014/02/27 16:30
フェルベーク監督は清武のPK失敗についても、「彼はこれまでもチームで一番のキッカーだったし、ミスは誰にでもあるものだ」と信頼厚いコメントをしている。
「叩きこんでやりましたよ。気持ち、入っていたでしょ」
清武弘嗣は、満面の笑みを浮かべ、弾んだ声で、そう言った。
ブンデスリーガ第22節、アイントラハト・ブラウンシュバイク戦。1点をリードされた後半だった。キックオフからハビエル・ピノラからトマシュ・ペクハルトを経て、ヨシプ・ドルミッチが落としたボールが清武に渡り、そのまま中央から右足でゴールに突き刺した。値千金の同点ゴールは、その1分後にトマシュ・ペクハルトの逆転ゴールを生む非常に重要な一撃となったのである。
「ファーストトラップで決まりましたね。ピノラが持った時からボールが来るか、来るかって思ってて、ヨシプが落としてくれた時、きたーって思った。トラップで2人抜きして打った瞬間、入ったと思った。でも、PK(失敗)がなぁ。あれを決めておけば、今シーズン4得点目。俺にとっては、1得点1得点が大事だから……。まぁ、でもこれは次、取り返す。ウダウダいっても仕方ない。次っすね、次」
いつもの彼らしい明るく、軽快な口調が戻ってきた。だが、昨年の初夏から冬に向けて、彼の口からはポジティブな言葉があまり聞こえなくなっていた。何かを背負い、焦り、悩み、プレーや言動に清武らしい突き抜けた感がなかった。
オランダ戦後、清武は悔し涙を流した。
「2013年は、代表もクラブも集中できなかった。厳しい1年だったと思います」
悩みの始まりは、日本代表だった。
3連敗で終わったコンフェデ杯は、ブラジル戦、わずか51分間の出場に終わった。
つづく、東アジアカップは、国内組が中心となって優勝。その結果、柿谷曜一朗、山口蛍、大迫勇也ら同世代の新しい選手が代表に入り始め、ポジション争いが激化した。
自分の椅子を失いたくない。代表に入っている選手なら誰しもそう思うが、清武もその思いが強くなった。他選手を意識し、「いつか代表を落とされてしまうんじゃないか」という恐怖が増した。するとミスなく、安全にプレーしようとしてしまったり、結果を求め過ぎたり、プレーにブレが生じた。試合に出たいと思えば思うほど出場時間が減り、セルビア戦は後半23分から途中出場、ベラルーシ戦はついに出番がなかった。
「このままやと俺、代表ヤバい。いつ落ちてもおかしくない」
今度こそ結果を出す。その決意を持って挑んだオランダ戦は、前半だけで終わった。清武は悔しさのあまりロッカーで涙を流したという。この頃、彼の危機感と焦燥感はマックスに達していたのだ。