プロ野球亭日乗BACK NUMBER
低反発球がV2、V3へと導く。
中日は西武黄金時代をなぞる?
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byNaoya Sanuki
posted2011/01/15 08:00
現役時代は79年から88年まで西武に在籍していた森繁和・中日ヘッドコーチ。引退後は西武、日本ハム、横浜でコーチを経験。中日の投手部門を統括する落合監督の右腕だ
ルーツは西武ライオンズにある。
1982年の日本シリーズ。当時、先発の軸に松沼博久投手と杉本正投手を擁した西武は、中日相手のこのシリーズで大胆な“策略”を用いた。
敵地・ナゴヤ球場での1、2戦は、西武が松沼、杉本両投手の先発で連勝。本拠地・西武球場に移った第3戦を3対4で落とした試合後のことだった。スタンドから観客がいなくなり、両チームの選手も引き上げたグラウンドの真ん中に西武のグラウンドキーパーが集まり、突貫工事でマウンドを作り直し始めたのだ。
ボールが下から出れば出るほど打者にとっては打ちにくくなる本格的な下手投げ投手の松沼博。その投球スタイルに有利になるように、一晩でマウンドを通常よりも低く作り直したのだった。
ただ、この第4戦ではそんな西武の“策略”も空回りに終わる。松沼博は3回で降板し、試合も同点の9回に中日に勝ち越されて対戦成績は2勝2敗のタイに持ち込まれてしまったのだ。するとデーゲームが終わったその晩に、西武は再びマウンドの改造を始めた。
今度は第5戦の先発で左のカーブ投手だった杉本に合わせて、マウンドを通常の高さに戻すためだった。
西武黄金時代を支えた様々な策略と本拠地ならではの工夫。
そしてシリーズの明暗を分けるであろうこの試合で、もう一つの“策略”も計られる。
使用球はコミッショナー事務局が管理するが、実質上は主催球団が手配をする。この日は試合前に西武の用具係が入念に試合に使うボールをチェック。100ダース近い在庫の中から、縫い目の高いものを選んで試合用に用意していた。
もちろん杉本が武器にするカーブの変化が、より鋭くなることを目論んだものだった。
いずれもルールに則った範囲で、本拠地だからこそできる“策略”だった。そしてそれが、第4戦の松沼博が敗れたように、どれぐらい勝負に影響したのかは定かではない。ただ結果的には、5回1失点という杉本の好投で第5戦を勝った西武が、その勢いでシリーズも4勝2敗で制することになる。球団買収4年目にして初の日本一へと登りつめたこのシーズンこそ、後の黄金時代の礎となったわけだ。