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大迫勇也、初ゴール以上の収穫。
ドイツでの研鑽はブラジルに通ず。
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byAFLO
posted2014/02/13 10:50
デュッセルドルフとのデビュー戦で、値千金の先制ゴールを決めた大迫勇也。ゴール以外にもポストプレーなどで持ち味を見せ、早くもチームの信頼を勝ち取ることに成功した。
W杯だけではなく、もっと大きな視点に立つ必要がある。
「W杯を考えたうえで、移籍を決断すべきだと言われますが、本当にそうなのでしょうか。W杯での活躍を考えて母国に戻ったり、移籍をためらってきた選手はこれまでにも多くいましたが必ずしもそれが本大会で良い結果にはつながっていませんよね。
もちろん、W杯に出て、活躍したいと思うのは当然だし、それは素晴らしいこと。ただ、一人の選手のキャリアを考えたときには、目の前のW杯だけではなく、もっと大きな視点に立つ必要があるのかなと思います。この先にまた同じように海外のクラブから声がかかるかどうか、それを保障してくれる人もいないわけです。だから、このタイミングだったんです」
つまり大迫にとっての移籍は、ブラジルW杯に向けてフォワードの2~3番手という現在の立場を覆すためであると同時に、1人のストライカーとして成長するためのものだったのだ。
はたから見れば大きなリスクを背負ったようにも見えるが、1人のストライカーの長いキャリアを考えれば、理にかなっている。ハイペースで成長を続けていけば、'14年の大会はもちろん、その先の大会でも不動のフォワードとして君臨する可能性も秘めているのだ。
4年前の冬、本田圭佑もCSKAへの移籍を決断した。
ここで想起されるのは、日本代表の本田圭佑の名前だろう。
2010年の1月、W杯まで約半年となっていたタイミングで、本田はオランダのVVVフェンロからロシアのCSKAモスクワに移籍した。2009年の8月から始まった'09-'10シーズン、フェンロで絶対的な主力として活躍していたにもかかわらず、だ。
果たして、本田はCSKAで初めてCLの舞台に立つ。そして、決勝トーナメント1回戦のセビージャとのセカンドレグでは1ゴール、1アシストを記録して、チームを勝利に導き、日本人として初めてCLの準々決勝へと進んだ。あのインパクトは、日本のファンにも、そして当時の指揮官である岡田武史にも強烈なものとなったはずだ。岡田はW杯開幕のおよそ2カ月前の4月、モスクワを訪れて本田と会談している。
当時の様子について、岡田はNumber755・756・757合併号のインタビューにおいて、こう話している。少し長いが、以下に引用する。