野次馬ライトスタンドBACK NUMBER
「あきらめない男」古木克明が、
ついに辿りついた野球人生の境地。
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph byHidenobu Murase
posted2013/11/07 10:31
JR阿佐ケ谷駅前でポーズをとる古木。1カ月以上もプレーしていないとは思えないほどの、黒く精悍な身体つきだ。
古木克明、憧れのハワイ航路でついに本領発揮。
デビュー戦は6月4日。吉田えりが所属するマウイ島のマウイ・イカイカ戦だった。3番レフトで出場した古木は、いきなり2死二塁というチャンスで打席に立つと、センター前にタイムリー。
得点圏や重圧の掛かる場面になると考え過ぎて過剰に力んでしまうことで御馴染みだった古木が、最も重圧の掛かる場面で結果を残すと、その後も鬼神の如く打ちまくり、1カ月終了時点で、打率.407、打点25はシーズン途中参加にもかかわらずリーグの二冠に躍り出るだけでなく、それまでのチームの年間最多打点をわずか1カ月で更新してしまう謎の優良助っ人外国人ぶり。
晴れた空、そよぐ風。虹のような弾道。古木克明、憧れのハワイ航路でついに本領を発揮。
「久しぶりの感覚でした。公式戦はオリックスの'09年以来ですからね。草野球の助っ人や、クラブチームの紅白戦とはやっぱり楽しさが違いました。独立リーグは、序盤で成績が出なければすぐにクビを切られる状況があることも理解していましたから、最初からガンガン打たなければ……というプレッシャーもありました。
実際にシーズン中にも2、3試合でリリースされていく選手がいる。最年長のサルディーニャも途中でコーチになってしまい、僕が野手最年長になってしまった。そういう中でやっているとやっぱり怖いですよ。それでも結果を残せたのは、今日の試合が最後になるかもしれないから、悔いを残さないようにとことんやってやろうって思えたこと。少しは精神的に成長できたのかもしれませんね。あ、それと、守備の方では外野がメインでしたが、守りが不安な選手に代わって『お前が守備固めに入ってくれ』とサードを守ることもありました。……凄いですよね。何度かエラーしましたけど(笑)」
その成果は、古木のひとつの到達点だったのかもしれない。
生きていればいつかいいことがある。諦めなければ夢は叶う。そして、野球を続けていれば、古木が守備固めでサードに入ることもある――。ハワイで得た成果は古木の野球人生のひとつの到達点だったのかもしれない。
1年間、チームの主軸としてシーズンを戦い終えた結果、54試合で打率.307。2本塁打、39打点、8盗塁は7月の時点からすれば息切れ感が漂うものの、あの古木の勝負弱さを端的に数字で表現できた2003年の22本塁打37打点という魔のキャリアハイを、やっと「2本で39打点」という正常値に更新。そして、まったく意味の解らなかった英語もある程度までマスターするなど、古木にとっては数字以上に得たものは大きかったようだ。