野次馬ライトスタンドBACK NUMBER
「あきらめない男」古木克明が、
ついに辿りついた野球人生の境地。
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph byHidenobu Murase
posted2013/11/07 10:31
JR阿佐ケ谷駅前でポーズをとる古木。1カ月以上もプレーしていないとは思えないほどの、黒く精悍な身体つきだ。
「NPBにいたままだったらわからなかったのかもしれない」
「やっぱり、1年間シーズンを通してやるといろんなことが見えてきます。シーズンを戦う体力がないというか、体中いろいろな部分にガタが来ていることも、です。夏場までと比べると最後は成績もだいぶ落ちましたけど、僕の中では頑張れたと思っています。最後の方はまたバッティングわかんなくなっちゃっていましたけどね(笑)。
でも数字じゃないですよ。プレーよりも、野球は楽しいものだということが改めて実感できた。本当に楽しかったですね。あんなに野球が楽しかったのはホームランを打ちまくった2003年以来です。これもNPBにいたままだったらわからなかったのかもしれない。
日本では一個のミスで物凄く怒られて、悩んで落ち込んでいましたけど、本当は誰が何を言おうと関係ないんですよ。野球は失敗するスポーツなんだから、落ち込むことはない。そういう経験から得たことをやっと若い選手にも言ってあげられるようになった。いろんな状況で野球を辞めようとしている若い子に、いろんなことを経験した方が、絶対に人生の糧になると言ってあげられるようになった。
NPBへの思いが浄化されたような、達観した物言い。
野球は世界のどこでやっても同じだと思うんです。ただ、今年のタイミングで、のんびりしたハワイ島のヒロという田舎町で野球ができたことは僕にとって幸運だった。上を目指すわけでもない。選手としての限界もわかりはじめている。名誉が欲しい訳じゃない、お金が欲しい訳じゃない。僕にとっては野球が楽しいと思い出せる。そのことが大事だったんです。
その中で、このチームは最高の環境でした。選手はいい奴ばかりだし、海の見える綺麗な球場で、自分の町のチームに誇りを持つ地元の人たちが応援してくれる。最初は一人ぼっちで孤独でしたけど、シーズンが終わった後は東京に帰りたくなくて、向こうでできた友達の家にしばらくホームステイさせて貰っていました。この半年の経験は、NPBの野球しか知らなかった僕の人生の視野を広げてくれた気がします」
NPBに残してきた野球への思いが浄化されたような、達観した物言いだった。
気持ちの面だけじゃない。いろんな方面で酷使してきた身体も、いろいろとガタが来ていることも知った。
2009年にオリックスを退団して以来、何度も野球人として死にかけては再び蘇ってきた古木克明だが、ここに来て、ようやく野球人として成仏する時が来たのだろうか。