スポーツ・インサイドアウトBACK NUMBER
Aロッドとハンク・アーロン。
最年少600号男が挑む最多HR記録。
text by
芝山幹郎Mikio Shibayama
photograph byGetty Images
posted2010/08/17 10:30
8月4日、ブルージェイズ戦で放った600号記念ボールを手に会見に臨むA・ロッド
アレックス・ロドリゲスがようやく600号本塁打に到達した。「ようやく」と書いたのは、599号から600号までに時間がかかったからだ。前日の最終打席まで46打数ホームランなし。私は、Aロッドが35歳の誕生日(7月27日)までに大台乗せを達成するものと思い込んでいたのだが、結果は35歳と8日。まあそれでも、大リーグ7人目、史上最年少での600号到達という事実に変わりはない。
それにしても、と私は思う。こと本塁打に関する限り、この10年間の異様なインフレ状態とはいったいなんだったのだろうか。
2001年(といえばつい9年前だ)、通算600号本塁打を達成した選手は、大リーグ史上3人しかいなかった。ハンク・アーロン、ベーブ・ルース、ウィリー・メイズの3人だ。
それがこの9年間で、「600号クラブ」の会員数は、一挙に7名にふくれあがった。バリー・ボンズ、サミー・ソーサ、ケン・グリフィー・ジュニア、Aロッドの4人が新しくメンバーに加わったからだ。
「水増し」の声はもちろん聞こえる。私自身、無意識のうちにそうつぶやいている。そもそも、'80年代や'90年代前半には「500号クラブ」の新規会員さえめったに見当たらなかった。'80年代など、メンバーに加わったのは、マイク・シュミットとレジー・ジャクソンの2名だけだったではないか。
「500号クラブ」の大安売りだった「ステロイド・エイジ」。
それが……である。'96年=エディ・マレー、'99年=マーク・マグワイア、'01年=ボンズ、'03年=ソーサとラファエル・パルメイロ、'04年=グリフィーと来て、'07年にはAロッド、フランク・トーマス、ジム・トーミが新規会員になった。まだある。'08年=マニー・ラミレス、'09年=ゲイリー・シェフィールド。
やれやれ、である。'90年代後半からゼロ年代にかけての「ステロイド・エイジ」は「500号クラブ」の大安売りだった。いま挙げたなかで明らかに「シロ」と呼べそうなのはマレーとグリフィーぐらいしかいない。
だが、と私はここで考え直してみる。
Aロッドは、果たしてハンク・アーロンに迫れるのだろうか、と。
そう、問題の焦点にはアーロンがいる。
1971年、アーロンは37歳で47本の本塁打を打った。39歳でも40本の本塁打を打った。ルースの記録(714本)を破ったのは、翌'74年春のことだ。彼は健全だった。ステロイドなど使わず、オフシーズンにはバスケットボールやラケットボールで下半身を鍛えつづけていた。食事の時間も判で押したように決まっていた。
その結果が、晩年のコンスタントな本塁打生産につながった。
35歳以後、グリフィーは129本の本塁打しか打てなかった。メイズは155本、ルースは198本。それにひきかえ、アーロンは245本だ。ボンズは317本を打っているが、自力で打ったのは半分ぐらいだろう。
ひるがえって、Aロッドはどうだろうか。