日本代表、2014年ブラジルへBACK NUMBER
オランダでゴール量産中――。
ハーフナー・マイク、進化の予感。
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byTakuya Sugiyama
posted2013/04/16 10:30
日本代表では11試合4得点。途中出場の機会が多く、最終予選ではまだゴールを奪えていない。
オランダに渡り、毎朝、海岸の砂浜を走った中2の冬。
彼はこれまでも逆境を乗り越えてきた。
古くは、コンサドーレ札幌U-15(ジュニアユース)時代がそうだった。身長が急激に伸び始めたころで、体の変化についていけずにセンターバックに回されそうになった。
彼はこう言っていた。
「速かった自分の足が嘘のように遅くなっていったんです。ショックですよ。だってそこにボールがあるのに、追いつけないんですからね。走り方も変になってしまっていて、ミーティングで僕の走る姿が映ると笑われたりして……正直へこみましたよ」
グラウンドの照明が落とされる夜10時になるまでボールを蹴った。「努力しようと思えばいくらでもやらせてくれる環境」がマイクの基礎をつくった。
中2の冬には祖父母を訪ねてオランダに渡り、毎朝のように海岸の砂浜を10km近く走った。それが終わると階段ダッシュ。その努力の甲斐あってセンターフォワードとして、“北海道にマイクあり”と己の名を上げていくわけである。
また、プロに入ってからもそうだった。横浜F・マリノスのユースからトップチームに昇格したものの、しばらくは結果を残せなかった。
「完全に勘違いしてましたね。全然、ヘタクソなのにそのことさえも気づいていませんでしたから」
引退する覚悟で移籍したサガン鳥栖での日々。
プロ4年目、当時J2のサガン鳥栖に移籍した。「自分を追い込むため」に敢えて厳しい環境を求めたもの。これでもし結果が出なければ、引退する覚悟も秘めていた。熱血指導で知られる岸野靖之監督のもとで、メンタルを鍛えられた。試合でへばっても途中交代は許されなかった。
「気持ちを見せろよ、マイク!」
岸野のその大声で再び気持ちにスイッチを入れ、ゴールを目指す。その後、ヴァンフォーレ甲府でJ2得点王となり、J1でもゴールを量産して念願の日本代表入りを果たしている。
オランダに渡ってからも、新たな壁に直面していたのは周知のとおり。
チームでも代表でもレギュラーに定着できない。1トップとしてボールを難なく収められるほど屈強でもなく、そこの部分で進化が求められていた。