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<葛藤を経た21歳の現在地> 石川遼 「沈黙を破る」~米ツアー1年目の挑戦~
text by
柳川悠二Yuji Yanagawa
photograph byTaku Miyamoto
posted2013/03/23 08:02
重い口から出てきた「メジャー制覇」という目標。
石川は調子の良い時ほど質問者の目を見て話し、納得のいかない一日のあとは、遠くの一点を見つめながら慎重に言葉を選んでゆく。結果に一喜一憂するコメントを残さないため、この時期の感情の起伏は石川の視線を追うことで判断するしかなかった。
それは夢見ていたアメリカツアーへの本格参戦を決めても変わりなかった。
新たな船出となったヒュマナ・チャレンジ前日も「特別な感情はない」と話すのみ。感情を押し殺すような発言に終始する姿は、いわばメディアの前で黙しているのと同然だった。
彼に何より聞きたかったことこそ、この2年に及ぶ沈黙の理由であった。石川はしばし逡巡し、ゆっくりと語り始めた。アメリカで感じた困難、日本で抱いた物足りなさ。
「日本における5年間で自分のパフォーマンスを最大限発揮できれば、国内で賞金王を獲れることはわかった。でも、僕が目指すのはあくまでメジャー制覇。いくら日本で結果を残しても、この努力を続ければいつかメジャーで勝てるという考えにいたりませんでした。だから賞金王にも達成感はなかった」
日本で順調に見えた時期も「まったくボールを操っていなかった」。
順調に日本でキャリアを積み重ねていた時期も、将来への深刻な不安を抱えていた。アメリカツアーにスポット参戦する度に、未知のゴルフを体験するからだ。
「日本で打ったことのないショットを、アメリカに来たら打たされる。前足下がりの左にフックしやすいラインから、真逆のスライスを打てと要求されるんです。日本では大きく右から狙えば済むけど、アメリカだとそこに林があって邪魔をする。とりわけメジャー大会のコースセッティングは自分の考えが及ばない次元にありました」
'10年の中日クラウンズで驚異的なスコア「58」を叩き出し、逆転優勝を遂げたこともある。石川は「これをゾーンというのかもしれない」と名ゼリフを残した。あの日のゴルフまでも否定するのか。石川の視線は鋭くなり、そして声高にもなっていった。
「今になって振り返ると、まったくボールを操っていないんです。ほぼストレートのボールだけだった。基本的に日本のコースでは、真っ直ぐのボールしか打てなくても、精度が伴えば、勝つことはできる。だけどそんなゴルフはアメリカでは通用しません」