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<葛藤を経た21歳の現在地> 石川遼 「沈黙を破る」~米ツアー1年目の挑戦~ 

text by

柳川悠二

柳川悠二Yuji Yanagawa

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photograph byTaku Miyamoto

posted2013/03/23 08:02

<葛藤を経た21歳の現在地> 石川遼 「沈黙を破る」~米ツアー1年目の挑戦~<Number Web> photograph by Taku Miyamoto

記者会見をゴルフに利用することができた石川。

 石川遼が発する言葉に、物足りなさを感じるようになったのはいつからだろうか。

 いかなる成績で終わってもラウンド後の取材をキャンセルすることはないし、態度が横柄になったわけでもない。ただ、どこか予定調和で、かつてに比べてどうも面白みを欠くようになっていた。

 石川は15歳だった'07年にアマチュアながら優勝を飾り、プロ2年目の'09年シーズンには日本ツアーの賞金王を獲得。その翌年に通算9勝目を挙げるまでは、攻撃的な姿勢を貫くゴルフもさることながら、その当意即妙なコメントも冴え渡っていた。

 '09年夏に行なわれたサン・クロレラクラシック。初日から首位を独走した石川は、3日目終了後に「完全優勝に王手ですね?」と訊かれると、こう返した。

「王手はおこがましいでしょう。僕には将棋の『歩』が『と金』に成ったぐらいです」

 幼いころから日曜日の夕方に「笑点」を観て、家族で謎かけをやっていたという彼らしいコメントだった。

 また石川は記者会見をうまくゴルフに利用するプロといえた。優勝のチャンスにつけた日は、質問の答えを考えながら、明日成功する自分を想起する場に充てていた。「最終日は4バーディ以上を奪って優勝する」と宣言し、その言葉どおり優勝したこともあった。納得のいかなかった日は、淡々と一打一打のミスを振り返り、まるで会見を通じてその日の復習をしているかのようだった。

勝利に見放され始めた'11年から並ぶようになった“建前”。

 涙も流したこともある。'10年の日本シリーズで連続賞金王を逃すと「ゴルフファンの一人ひとりに聞きたいです。これで僕は良かったのかな」と苦しい胸のうちを明かした。

 つい3年前までは自身に期する感情や、悔恨の思いを素直に口にしていた。

 しかし、'11年シーズンから、石川のコメントに本音より建前が並ぶようになった。それは勝利から遠ざかり始めた時期と重なる。

 同い年の松山英樹と上位争いを演じた'11年三井住友VISA太平洋マスターズでも、ライバルの優勝を手放しで喜び、優勝争いから脱落した自身に対しては、悔しさを噛みしめつつも「優勝争いを繰り返していればいつか必ず勝てると信じたい」と言うに留めた。

 以前は不甲斐ないショットに叫声をあげ、クラブを投げつけて問題視されたこともあった。マナー上は許されない行為とはいえ、不躾な感情の発露のさせ方に、アスリートの葛藤が垣間見えていた。しかしそういった仕草も影を潜めた。

【次ページ】 重い口から出てきた「メジャー制覇」という目標。

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石川遼

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