野次馬ライトスタンドBACK NUMBER
球界最強のモノマネ王が引退――。
DeNA高森勇旗の“ビミョー”な去り際。
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph byHidenobu Murase
posted2013/01/29 10:30
斎藤佑樹、田中将大と同学年。モノマネのレパートリーはイチロー、小笠原道大など幅広い。写真は、昨年11月にKスタ宮城で行われたトライアウトに挑んでいた時の高森。
後輩の筒香に追い抜かれ、ふて腐れてやけっぱちに……。
「筒香が入ってくることで、他の左打者より頭2つ抜けなきゃ使ってもらえないだろうと、オフの間に尋常じゃないぐらい必死に練習したんです。そのおかげで開幕から絶好調で1カ月で打率.375、ホームランも5本ほど打ったんですけど、結果を残しているのに、打順が下がっていった。4番に筒香が入るのはしょうがない。でも、5番から、6番、7番になって、最後にはスタメンから外される。今ならチーム事情とわかりますが、その時は『これはもう一軍に上げる気ないんだ』と完全に気持ちが切れてしまい、首脳陣に対してもふて腐れた態度を取るようになるんです。
そうなれば悪循環。バッティングも6月にはヒットゼロ。文句ばかり言って、周りからも見放され、人も離れていきました。秋になる頃には『もう野球を辞めよう。どうせクビだろうし』とやけになっていましたね」
それでも球団は高森をクビにすることはなかった。そんな時、湘南シーレックスのファン感謝デーが行われる。そこで高森は戦力外になったある男の生き様を目の当たりにすることになる。
佐伯の涙に「諦めることが一番愚かなこと」だと学んだ。
「球団を解雇された佐伯さんが退団の挨拶に来られたんです。その年の佐伯さんはどんなに活躍しても一軍に上げてもらえず、二軍でも一日一打席あればいい方。僕以上に辛い環境に置かれていました。普通の選手なら即気持ちが切れる状況ですよ。でも、佐伯さんは毎朝6時に必ず練習場に来てトレーニングを黙々と続け、試合でも絶対に手を抜かず……本当に最後の最後まで自分のやるべきことをやり切ったんです。
そんな佐伯さんがですよ……退団のスピーチで『2010年は佐伯貴弘にとって最高の1年になりました』って泣きながら言ったんです。それを聞いた途端に涙が溢れてきて。『俺は一体、何をしていたんだ?』って情けなくなった。“諦めることが一番愚かなこと”それを佐伯さんは教えてくれたんです。佐伯さんが日本一を争うドラゴンズに移籍したのは、野球の神様が見ていたからですよ。文句ばかり言ってた僕と、やることをやった佐伯さん。その差がこんなに開くんだなって。だがら、僕はそこから何があっても、どんな使われ方をしても絶対に諦めない。そう誓ったんです」
切れてしまった野球への情熱と、失った信頼を取り戻すべく、新たな気持ちで挑んだ'11年。だが、そこでも高森は結果を残すことができず、昨年以上に辛い年になってしまうのだが……再び戦力外を免れることにはなった。