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31年ぶりに“JAPAN”消滅のF1界。
いまこそ問われる、日本人の真価。
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byHiroshi Kaneko
posted2012/12/26 10:30
モナコでの可夢偉の派手な激突シーン。日本GP3位など、2012年も可夢偉は多くの日本人ファンに夢と希望を見せてくれていたのだが……。
12月18日、苦渋の決断を小林可夢偉が下した。
「なんとか当初の目標に近い800万ユーロ強の予算はありましたが、残念ながら僕が求めていた、戦えるチームでの2013年のレースシート獲得は不可能という状況になりました。'13年度の僕の活動については、F1以外のカテゴリーは考えていません。現在あるオプションのなかで、'14年にF1のトップチームのレースシートを獲得できるベストな道を選択したいと思っています。
この度のご報告を持って一度『KAMUI SUPPORT』の受付を終了させて頂きたいと思います。本当にありがとうございました。皆様からの寄付金は、そのまま大切にお預かりして'14年度のF1レースシートを獲得するための資金とさせていただきます」
事実上の敗北宣言。
と同時に、これは可夢偉だけでなく、日本のレース界にとっても忘れてはならない一日となった。
それは'03年アメリカGPの前と同様、9年ぶりにF1界から日本人ドライバーが姿を消す事態となったからだ。
'03年は、そのアメリカGPの翌戦である最終戦日本GPに、佐藤琢磨がBARホンダからスポット参戦してくれた。しかし、もし'13年のシーズンを通して日本人ドライバーが1レースも参戦しないということになれば……'03年よりさらに昔、'01年シーズンと同様、12年ぶりに「日本人ドライバー不在」のシーズンとなるのだ。
日本企業の相次ぐ撤退で、若手ドライバーの育成面に大打撃。
問題は、状況が'01年よりも深刻であることだ。
当時はF1ドライバーはいなかったものの、イギリスF3選手権を佐藤琢磨が制し、フランスF3とドイツF3でも福田良と金石年弘がタイトルを獲得。次代を担う日本人がヨーロッパで活躍していた。
しかし、'12年はF1直下のカテゴリーであるGP2シリーズに参戦していた日本人は皆無で、そのほかのヨーロッパのレースでも日本人の存在は影が薄かった。
ホンダとトヨタのF1撤退は、チームの消滅だけでなく、若手ドライバー育成プログラムには大きな影響を及ぼしている。
問題は、日本人ドライバーの育成だけではない。