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<箱根駅伝> つながらなかった襷。~悲劇のランナーたちのその後を追う~
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph byYuko Torisu
posted2013/01/01 08:00
大晦日の朝、アキレス腱に明らかな故障を負ったが……。
「中途半端な気持ちで臨んでいたからこそ、神さまが罰を下した。そう思いましたね。当時の私は完璧主義なところがあって、世界選手権の前にケガをしたことが許せなかった。それからずっと調子が上がらないまま……でも箱根には出るしかない。直前にまた足を痛めた時点で終わりとまでは思ってないですけど、リタイアした時にやっぱりなと。後ろ向きな気持ちを見透かされていたんです」
大晦日の朝、中村は最後の調整でアキレス腱を痛めた。明らかな故障だったが、本番を前にナーバスになり、痛みに体が過剰反応した可能性も否定しきれず、急きょ、痛み止めの注射を打って本番に臨んでいたのだ。
むろん個人のエゴではない。当時はそれがチームのためになると信じていたからだ。
「仮に私が辞退を申し出て、控えの選手が出場したとします。それで3連覇を逃したら、誰が責められますか? 中村が走ってダメなら仕方ないよ。チームメイトはそう思ってくれるはず……。認識が甘かったんです」
控え選手の呵責に苦悩しながらも、翌年の2区では雪辱の8人抜き。
レース後、一部の控え選手はケガを隠して箱根に出場したエースを責め、その言葉に中村は苦しんだ。次第に引きこもりがちになり、不眠と過食で体重は9kgも増えたという。
このまま陸上をやめてしまおうか。いや、陸上以外に何があるだろう。自問自答を繰り返し、思い至ったのが初心だった。
「自分は走ることが好きで、箱根を走りたくて大学に入ったはずなのに、いつしかそれを忘れていた。儚い夢だったオリンピック出場が手の届くレベルまで来て気持ちが守りに入っていたんです。その年の5月の関東インカレでしたか、新入部員ががむしゃらに挑む姿を見て、足踏みしている自分がなんか恥ずかしくなりましたよね」
翌年、丸刈りで気合いを入れた中村は、箱根の2区にエントリー。同じように直前に足を痛めながら、8人抜きで区間賞を奪った。
――あの走りは感動的でした。
「でも、欲を言えばね、完璧な状態で臨みたかったです。歴史に名を残す区間記録保持者を見ると、やっぱりうらやましい。チームのために1年間を費やしたことで、私の中にあったアスリートとしてのトンがった部分が欠けたようにも思えるんですよ」