オリンピックへの道BACK NUMBER
メダリストでも競技を続けられない?
今こそ考えたい、スポーツ支援の形。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byKyodo News
posted2012/08/27 10:30
銀座でのパレードに参加する400mメドレーリレー銀メダルチームの北島康介(手前)と松田丈志(奥)。松田は高校時代まで、地元延岡市の屋根がビニールハウスで出来ているプールで練習してきた苦労人。
8月20日、ロンドン五輪のメダリスト71人が銀座でパレードを行なった。オリンピック後に実施するのは初めてのことだ。
このパレードに集まった人々は、50万人に上ったという。コースとなったのは、中央通りの銀座通り口交差点から銀座八丁目までの約1kmの道のり。中央通り沿いは人々で埋め尽くされ、通りまでたどり着けない人たちが選手の乗ったオープンバスが見えないような遠方まであふれかえった光景は、壮観ですらあった。過去のパレードでは、2009年に巨人が日本一を祝して行なった際に34万人、昨年、ソフトバンクが福岡で行なったときは33万人というのが目立つ数字だから、今回のパレードがどれだけ盛大であったかはそこからも分かる。
連日のメダル獲得に沸いたロンドン五輪の余韻が残る一方で、こんなニュースも報じられている。
競泳の平泳ぎ200mで銅メダルを獲得した立石諒は来春、大学を卒業予定だが、その後も競技を続行するかどうかは、スポンサーを見つけられるかどうか次第だと明かしているというのだ。
メダリストであっても、支援先探しに苦労するケースはしばしば。
競泳で言えば、バタフライ200mで北京、ロンドンと2大会連続で銅メダルを獲得し、ロンドンでは競泳チームの主将を務めた松田丈志も、以前、競技活動の継続に苦しんだことがあった。
2009年末、スポンサーとなっていた企業から、経営悪化で契約を打ち切られ、それに代わる支援先がみつからなかったのだ。そのため、海外合宿に参加できないなど、競技を続行できるかどうかの瀬戸際に追い込まれた。数百の手紙を送っても名乗りを上げる企業は現れず、ようやく2010年になって、支援が得られた。これは松田が北京五輪でメダルを獲ったあとの話である。メダリストとなっても、こうした不安定な状況に陥った。
そしてそれは、松田あるいは立石にかぎった話ではない。社員として採用してくれる企業、あるいはスポンサー、どちらの形であれ、支援先を見出せず、親を含め親族の金銭面の支援を受けてようやく競技を続けられるケースも少なくない。