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<独占インタビュー> 石田正子 「競技のために、賭けなかった」 ~クロカン5位入賞、快挙の裏側~
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byShino Seki
posted2010/04/12 10:30
「出せるものは出せた」という会心の滑りで5位入賞。
ダブルパシュート(20位)、4×5kmリレー(9位)に出場し、勝負をかけていた得意の30kmクラシカルは、大会閉幕の前日。
「前半を抑えめに走り、後半勝負」
作戦をそう立てていた。
スタートする。スキー板のグリップワックスが、「よく滑るけど登りで止まらない」と判断するや、5km、そして20kmで板を履き替える。30位あたりまで順位を下げた瞬間もあったが、焦らずに追走する。
「後半の粘り強さは一級品」と評される真骨頂を見せたのは終盤だ。残り5kmで9位に進出。その後2人を抜き去ると、残り500mから驚異的なスパートをかける。最後のトラックに入ってから、今大会の10kmフリーで金メダルを獲得したカッラ(スウェーデン)を抜き去って5位。もう少し距離があれば、さらに上位に進出できた、そう感じさせられる走りだった。
「やれることはやりました。出せるものは出せた。満足です」
レース直後の石田の言葉には、高揚が感じられた。
チーム関係者の喜び方も手放しだった。
「歴史が塗り替えられました」「新しい歴史です」
メダルではなくても、厚い壁を破っての入賞は、まぎれもなく快挙であることを、誰もが理解していたのだ。
「終わった直後、いろいろな場所でチームのスタッフとかと会って、おめでとう、おめでとうって言ってくれました。でも翌日の男子の50kmの準備がみんなあったし、私も次の日にバンクーバーに移動しないといけなかったので、荷物をまとめたり、忙しいし疲れているしで、お祝いをする感じではありませんでしたが(笑)」
作戦に影響を与えた五輪のプレッシャー。
しかし、「歴史を塗り替えた」と関係者に言わしめたオリンピックから3週間ほどが経った今、当の石田本人は、淡々としている。
それはもしかしたら、自身の走りへのかすかな「もしも」という疑問符とかかわっているのかもしれない。当日の心境を、石田は語った。
「バンクーバー五輪では、クロスカントリーでの入賞がなかったし、ノルディック複合もあまりいい成績じゃなかったんですね。だから、あ、ここは自分がやらないといけないな、というのはふつふつと頭をよぎりました。それはプレッシャーになりましたね」
作戦通りの走りの中にも、微妙に影響をおよぼすことになった。
「25km時点で9番手だったんですけど、8番手とだいたい一緒の位置で、4、5、6、7番手も視界に入っていました。そこからスパートをかけようと思えばかけることはできた。でももし失敗して9番手とかになったら取り返しがつかないなと思ったんですね。とりあえず入賞しておけばクロカンとしては面目も保たれると思って、ちょっと攻めきれませんでした。そこからスパートをかけていれば、もしかしたら3番になれていたかもしれないというのは思います。……でもやっぱり、いちかばちかの賭けというのには出られなかったですね」
どこか心残りではあったのかもしれない、という想像が浮かんだ。
「注目してほしい」という思いは叶ったのか尋ねると、こう答えた。
「よくて60%くらいですかね」
大会前に望んでいたほど、クロスカントリーへの視線を変えられなかったという気持ちが、マイナス40%となったのか。