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<箱根駅伝プレビュー> 柏原竜二と東洋大学 「最後の山も攻め登る」
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph bySatoko Imazu
posted2011/12/31 08:03
ヒーローに仕立てあげられた柏原が抱えた苦悩。
昨年、柏原は極度の不振にあえいでいた。なんとか箱根には間に合わせたものの、走り込み不足は明らか。ゴール直後に倒れ込み、ほとんど動けなくなったことからも本調子ではなかったことが伝わってくる。
春先からの相次ぐ故障にスランプ。そればかりではない。本人は多くを語らないが、精神的に追いつめられ、一時は陸上から距離を置いたこともあった。
親友の苦しむ姿を、同じ4年生の藤野俊成はよく憶えている。
「2人で外へ遊びに行くと、けっこう声をかけられるんですね。サインを頼まれたり、握手を求められたり。そういうのは2年の時からあって、もうやめてくれって。陸上から離れたら、ただの学生ですからね」
一人の大学生を、視聴率が30%を超える大会はヒーローに仕立てあげる。まちを歩けば知らないひとが声をかけてくるし、携帯のカメラやツイッターが追いかけてくる。その怖さ、薄気味の悪さは経験した本人にしかわからないことだろう。
何年も同じ寮に住み、同じ釜の飯を食うなかで培われる関係。
立ち直るには時間が必要だった。そして、仲間からの励ましも。
同級生の田中貴章が話す。
「特に何をしたわけではなくて、普段通りに接しました。彼がもう一度走りたくなったとき、本当に陸上に集中できるようになったときに帰って来やすい状況を作ってあげるのが大事だと思ってたんで」
陸上部員はみな同じ寮に住み、同じ釜の飯を食う。2年、3年とそんな暮らしが続けば、無言の優しさにも気づかぬはずがない。
柏原は箱根を走った。そして、倒れ込むまで力を尽くした。往路優勝のインタビューの場で仲間への感謝を口にしたとき、こぼれた涙がその答えだった。
「去年、1年を通してあれだけふがいない走りだったにもかかわらず、みんなが待ってくれたので。監督もよく我慢して起用し続けてくれたなって思います」
1年前を振り返る、柏原の表情は明るい。
そういえば、インタビューの場で「やったぞ田中~」と叫んだことが話題になったが、その理由についても笑って話す。