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“ドラフト1位”を背負いし男たち――。
河原、中里、加藤のトライアウト2011。
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byGenki Taguchi
posted2011/11/25 12:25
11月24日、ほっともっとフィールド神戸で行なわれた12球団合同トライアウト。参加者は投手37名、野手22名、合計59名という過去5年間で最多人数。開始前の説明をみな厳しい表情で聞いていた
恩人・落合監督に報いるためにも、河原は再起を誓う。
トライアウトに参加した投手で最も実戦感覚が近かったことは大きなアドバンテージだった。先頭打者に安打を許したものの、速球のキレも良く、残りの3人を凡打に打ち取り上々の投球を披露することができた。
「カウント1-1からのスタートというルールは難しいところもありましたけど、前にも('07年)1回経験していますから。細かいことを言えば、コースが高かったとか課題はあったので今日の結果がベストかどうかは自分では判断できませんけど、気持ちとしては『今後のためのトライアウトだ』と思って投げました。まだ諦めるつもりはありません。他球団からの連絡を待ちながら練習を続けていきます」
最後までチームの一員として扱ってくれた落合監督には、シーズン終了後に「お世話になりました」と挨拶を済ませたという。恩人に報いるためにも、河原は再起を誓う。
前巨人の中里篤史('00年中日1位)は、打者4人に対し1安打、2三振と、自らのセールスポイントを存分に発揮することで一軍経験の少なさをカバーした。
「自分の意思をキャッチャーに伝えて、その時に投げたいボールがあればサインに首も振りました。ストレートやフォークで空振りを取れたし、シュートで詰まらせることもできたんでアピールはできたと思っています」
“将来のエース候補”だった中里は「ユニフォームを脱ぐ気はない」。
中日時代、“将来のエース候補”と呼ばれるほどの逸材だった中里も、2年目の春に右肩を故障。長期離脱を余儀なくされたが、'06年にはエースの称号とも言える背番号18を託され、日本シリーズのマウンドにも立った。ところがその後、再び故障に悩まされるようになり'09年オフに戦力外に。'10年から巨人でプレーしたが結果を残すことができず、2度目の戦力外通告を受けた。
「前回はトライアウトを受けずに巨人に拾ってもらえたので、その分、今年は厳しさを感じています。でも、自分はまだまだ投げられる自信があるのでユニフォームを脱ぐ気はありません。もし、僕を見てくれている球団があるとしたら、やれる限りのことをやって貢献したい気持ちは強いです」
さらに中里は、長年危惧されていた肩の状態について、こう言い切っていた。
「肩はもちろん、肘も全く問題ありません」
3球団目のユニフォームを身にまとい、完全復活をアピールする。そのために彼は、吉報が来ることを信じ、トレーニングに励む。