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佐藤琢磨がついにIRL参戦表明。
F1レーサーはインディで通用する?
text by
西山平夫Hirao Nishiyama
photograph byShiro Miyake
posted2010/02/22 10:30
2月18日、東京・南青山にてIRL参戦についての記者会見をした佐藤琢磨。会見中は始終明るい笑顔で、レーシング・シートに座れる喜びを溢れさせていた
90年代はF1とインディの間を多くの選手が行き来した。
1990年代になるとF1とインディの交流はかつてないほど濃くなって来る。
1993年、前年のF1チャンピオン、ナイジェル・マンセルが渡米。アッサリとチャンピオンの座に就いた。しかし“500”だけは別モノだったらしく、最後まで優勝を狙える位置につけながら最終ラップに勝てるチャンスを失ってしまう。マンセルの前に立ちはだかったのはかつてF1王座に2回就き、いったんは引退した後インディにデビューして成功していたブラジル人チャンピオン、エマーソン・フィッティパルディだった。終盤の再スタートでマンセルの出鼻を挫いたフィッティパルディはチェッカーの瞬間、半車身の差でマンセルに先着。1993年の500はF1チャンピオン同士の戦いとなった。
マンセルの活躍に刺激されてF1からアメリカに飛び立って成功したのがアレックス・ザナルディ。F1では6位1回の成績しかなかったこの平凡なイタリア人F1ドライバーが、渡米するやいきなりチャンピオンとなった。しかしF1に出戻った1999年は、ウイリアムズに所属しながらノーポイントという惨々たる結果に終わっている。
同じような例ではセバスチャン・ブルデーがあり、F1直下のF3000でチャンピオンになった後、渡米。2年連続でインディシリーズチャンピオンになった後、F1にデビューしたが活躍にはほど遠い結果だった。ちなみに日本人でF1→インディと転身したトップランナーは高木虎之介。彼は2003年のインディ500で、日本人では最高位である5位に入賞している。
インディ500で勝ち、シリーズ・チャンピオンを手中に納め、F1にやって来て成功したのはジャック・ビルヌーブとファン-パブロ・モントーヤの2人である。ビルヌーブは1997年のF1チャンピオン。モントーヤはチャンピオンにこそなれなかったが、F1通算7勝。時に帝王M・シューマッハーをも喰う活躍を見せた。
F1より若干鈍重なインディマシンに琢磨は慣れる必要が。
さて、佐藤琢磨である。所属チームの力量やライバルとの力関係によっても戦績は変わってこようが、クレバーな彼のこと、走りにしてもその言動にしても必ずインディシリーズで注目の的になること間違いないだろう。ただし、インディマシンはF1と違って運動性能の特徴が異なる。F1に較べインディマシンは悪く言えば鈍重ゆえ、当初はランニングシューズからゴム長靴に履き替えたようなもどかしさを感じるのではないか。しかしこれまでもうまく順応して戦ってきた琢磨のこと、瞬く間にマシンに馴れるはずだ。ことにIRL全17戦中開幕4戦はストリートおよびパーマネント・サーキットであり、コース的には琢磨も「F1の経験ですぐに順応できると思います」と、自信をみせている。