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佐藤琢磨がついにIRL参戦表明。
F1レーサーはインディで通用する?
text by
西山平夫Hirao Nishiyama
photograph byShiro Miyake
posted2010/02/22 10:30
2月18日、東京・南青山にてIRL参戦についての記者会見をした佐藤琢磨。会見中は始終明るい笑顔で、レーシング・シートに座れる喜びを溢れさせていた
噂は本当だった。
2月18日午後、東京青山で佐藤琢磨がインディアナポリスに本拠を置くKVレーシング(ケビン・カルコーベン+ジミー・バッサー共同オーナー)から2010年のIRL(インディ・レーシング・シリーズ)へ参戦することを発表。これに先立つ2月15日、琢磨はインディ・マシンをフロリダのセブリングでシェイクダウンしていた。
「1時間半のテストでしたが2008年12月以来の走行だったので、乗った瞬間から嬉しくてしょうがなかったし、自然体で走れた。F1で走る道を最後まで探ったが、すべての条件を見て、ボクにいま必要なのはレースすることと判断。(F1のシートを待ち続けるのは)もう限界でした。エンジン・シャシー・タイヤがすべてイコールのIRLはームは誰にも勝てるチャンスのあるレース。F1で頂点を目指したエネルギーをインディに向けて1戦1戦頑張りたい」と、新たなる挑戦への決意を語った。
ところでF1で活躍した佐藤琢磨はインディで勝てるだろうか?
F1ドライバーの経験や技術はインディに通用するのか?
琢磨のインディ参戦を機に、F1とインディの交流史を簡単に振り返ってみたい。
古くはF1界からインディ500に一発参戦し、成功していた。
ジム・クラークとグレアム・ヒルはイギリスが生んだ偉大なるF1チャンピオンだが、ともに「インディ500マイルレース」に挑戦し、これを制している。これは1960年代の話で、この他にも同時代で言うとジャック・ブラバム、デニス・フルム、ジャッキー・スチュワートら並みいるF1チャンピオンがインディ500に挑戦しているが、勝つまでには到らなかった。
彼ら1960~1970年代のF1からのチャレンジャーにあって特徴的なのは、インディシリーズに年間を通して参戦するのではなく、アメリカのレースシーン最高峰として名高い「インディ500マイルレース」にのみ“一発必勝”のアタックをかけたということ。その狙いはF1では考えられない高額賞金だった。
ドルが世界通貨として不動の位置を占めていた頃である。クラークの場合を見るとドライバー自身もさることながら当時所属していたロータスのオーナー、コリン・チャップマンがとりわけこの参戦にご執心で、インディ専用マシンを開発までしている。1965年は日程がバッティングしたモナコGPを蹴ってまでインディに出向いたほどである。当時のロータス、ローラなどイギリスのマシン製造者にあってはインディはマシンの輸出先として黄金の土地でもあったのだ。
アメリカからF1界へ進出したチームもあり、王者は2人いる。
逆にアメリカに軸足を置いてF1に殴り込んだ例も少なくない。1950年代末から70年代の代表的アメリカンF1レーサーが、フィル・ヒル、マリオ・アンドレッティ、ダン・ガーニーらである。
ヒルは1961年にフェラーリでアメリカ人初の世界チャンピオンの栄光を担い、アンドレッティはインディシリーズ(当時はUSACと称し、後にはCARTとIRLに分裂するがここではインディシリーズを総称とする)チャンピオンになり、インディ500も制し、F1に専念した1978年にはロータスでついに世界チャンピオンにもなっている。インディシリーズ王座+インディ500+F1チャンピオンの欧米“三種の神器”を手にしたドライバーは過去3人居るが、アンドレッティはその嚆矢となったドライバーである。ガーニーは500こそ勝てなかったがF1で4勝。1967年は自ら製造したマシン“イーグル”を駆ってスパ・フランコルシャンで貴重な1勝を挙げている。
アメリカ国籍のF1ドライバーは準レギュラーを含め過去に15人いるが、その中でチャンピオンが2人もいるというのは意外と高打率といえるかもしれない。