オリンピックへの道BACK NUMBER
バンクーバー五輪開幕直前に、
もう一度思い出したいトリノ五輪。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byTakuya Sugiyama
posted2010/02/11 08:00
バンクーバー五輪開幕が間近に迫るにつれて、ふいに、トリノ五輪のことを思い出すことがある。とりわけ、一人の選手の言葉と眼差しは、今なお、強く刻まれている。それは、取材における姿勢、自分のベースの大切な何かを形作るものにもなっている。
トリノ五輪も終わろうとする頃、カーリング日本代表の小野寺歩にインタビューする機会があった。
当時、カーリングは国内でブームを起こしていたという。でも、現地では遠い世界の出来事のように実感がなかった。そんな事情よりも、試合で見せていた表情が鮮烈で、何がその表情を生み出していたのか知りたかった。
インタビュー中、小野寺は言った。
「4年間、五輪のことを考えない日は1日もありませんでした。この4年間を1週間のために費やしてきました」
五輪にすべてを懸けた。カーリングの歴史を作るために。
小野寺が初めてオリンピックに出場したのは、2002年のソルトレイクシティ五輪である。この大会を後悔とともに終えた小野寺は、トリノを目指そうと決意する。そこには、ソルトレイクシティでの悔いとは別の思いもあった。
小野寺は、カーリングに対するこんな言葉を耳にしたことがあった。
「あんなのスポーツじゃない」
自身が真摯に取り組んできた競技である。悔しかったはずだ。
そうした声をはね返し、あまり注目を集める機会のないカーリングをいかに認知してもらうか。
小野寺は語った。
「五輪でアピールするしかない、メダルを取ってカーリングの魅力を知ってもらおう、歴史を作りたいと思って臨みました」
4年間積み重ねた時間、切実な思いが表れたのが、あの眼差しであり、表情だったのだと知った。
そしてそれは、極限状態における集中と緊張が生み出したものである。それは日常にはない、スポーツの魅力の本質でもあった。
4年間、1日も忘れることなく考え続けるエネルギーの大きさと意志の強さは、どれほどか。簡単に想像し得るものではない。そんな日々を重ねて、オリンピックにたどり着いたのだ。