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ジュゼッペ・ロッシ 「流浪のストライカー」
text by
中嶋亨Toru Nakajima
photograph byMutsu Kawamori
posted2009/02/26 00:00
パルマにやって来た当時12歳のロッシは、何の不自由もなく現地の生活に馴染んだ。
「アメリカにいる時から家族との会話はイタリア語だった。だから言葉の問題もなかったし、アメリカでやっていたサッカーは、そのままイタリアでも通用した。家族と一緒に生活できたから寂しい思いもしなかったしね」
パルマユースでの4年間で200ゴール以上決めた。イタリアでは体力、技術面で大きく成長した。とりわけ、戦術面をしっかり教わることができたのが大きかった。チーム戦術が高度に発展していたイタリアで学んだことは、その後のキャリアでも役立っている。いわく、「FWとしての基本的な動きは、どこの国に行っても変わらないから」だという。
それに、サッカーが生活の一部になっている土地でプレーできるのも、ロッシにとっては貴重な経験だった。
「パルマでファンバステンを知らないっていう子は、もちろんいなかったよ(笑)」
イングランドで直面したキャリア初の大きな壁。
緩急自在のドリブルで相手を翻弄し、年間50ゴールを挙げたストライカーを、イタリア代表の育成スタッフが放っておくわけがなかった。13歳でU-14の練習に参加するようになり、その後も各世代の代表に名を連ねると、16歳でU-17代表として国際試合にデビュー。この頃になると、ロッシはイタリアだけでなく、欧州中のスカウトにとっての注目株となっていた。そして、実際に獲得に動いたのが、マンチェスター・ユナイテッドだった。
「僕も家族も、すぐに移籍することを決めた。イタリアでの生活はとても快適だったけど、マンチェスターでの挑戦の方がもっと重要だったからね。英語を心配する必要もなかったし、イングランドの生活習慣を受け容れることもできる。それに、(アレックス・)ファーガソン監督が直接会いに来てくれて、『君をチームに迎えたい』と言ってくれたんだ。ここまでされて、マンチェスターに行かないサッカー選手がいるとは思えないね」
イタリアで選手としての土台を築いて挑戦したプレミアリーグの舞台――。しかし、17歳の選手がトップチームで活躍できるほど、プレミアは甘くなかった。最初の一年は、リザーブリーグの出場のみで終えている。
だからといって、焦ることはなかった。ロッシは週の半分をトップチームの練習に参加することを認められていたのだ。そこで世界トップクラスの選手との差を測りながら、自らを成長させていく。熱心に取り組んだのは、下半身の強化だった。技術面ではトップチームの選手に引けを取らなかったロッシは、プレミア特有の強い当たりに負けない強固な足腰を手に入れようと励んだ。
そして移籍2年目の'05―'06シーズン、待望のトップデビューを果たす。そのシーズン、国内公式戦10試合に出場し、トータルで4ゴールを挙げた。優れたシュートセンスのみならず、細かいステップで切り込んでいくドリブルはマンUファンを魅了。“ゴールデン・ボーイ”という愛称も付けられた。
(続きは Number723号 へ)