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岡田彰布 「雪祭りにもようやく行けるわ」 

text by

阿部珠樹

阿部珠樹Tamaki Abe

PROFILE

photograph byMegumi Seki

posted2009/01/06 00:00

岡田彰布 「雪祭りにもようやく行けるわ」<Number Web> photograph by Megumi Seki

 「自分がどうというよりも、タイガースがそういうチームになってきたいうことやろね。今の野球は連覇はむずかしい。補強で大きく戦力を変えられるんやから。その中で毎年優勝を争えるチームを作ってきた、この5年間である程度やれたいう達成感はありますよ。でも、今のファンはそれ以上のことを望んでいる。毎年優勝できるんやないかという気持ちもある。その中で戦うしんどさはあるね。今年にしても、もうオールスターの時点で、ファンの人たちは、優勝やという雰囲気になっていた。そういう意味でトップを走っている割にはものすごくしんどかったですね」

 実際、岡田のように5年もつづけて監督を務めた例はほとんどない。ひところ、タイガースの監督は「辞任するために就任する」などといわれたのがウソのようだ。

 「5年の中でやったことでは、金本を4番にすえたことが一番大きかったろうね。結局、一度も4番を外さなかった。そのことでチームに芯ができた。欲をいえば、もうひとり、どしっとクリーンアップを任せられるような選手を育てられればなあ、いう気持ちはあったけど」

 もうひとつ、岡田時代のタイガースを支えたのがJFKトリオだ。常勝の立役者だが、酷使という批判もないではなかった。

 「使いすぎなんて、全然思ってないよ。プロである以上、出ることがすべて。ベンチに座っていたって給料は出ないんだから。使われてこそ実績も残るし給料も上る」

 とはいうものの、岡田が「プロ意識」だけを頼みに、JFKの3人を使いつづけたわけではない。

 「ゲームがはじまったら、監督の仕事なんてだいたい終わっている。戦術なんてある程度出尽くしているからね。グラウンドに出すまでの過程が大事なんや」

 JFKに限らず、選手の状態は誰よりも正確に把握しているという自負が岡田にはある。

 「いきなり監督になったわけやないからね。二軍のコーチ、監督から一軍のコーチ、それから一軍の監督とみんなやった。コーチ経験もなしに監督になった人もおるけど、こっちとはものの考え方がぜんぜん違うね」

 岡田はジャイアンツの原監督が、前回監督を退いた時、復帰するつもりなら、その前に一度、二軍監督をやってみることを勧めた。

 「本人もやってみたいいうとったから、やったほうがええって勧めたんや。それで見えてくるものがある。自分の体験からいってもそう。でも、一軍監督という話が来たら、ハイ、やりますで終わってしまう。今年ライオンズが優勝したけど、渡辺監督なんかはいい経験しているね。二軍もやったし、台湾でもやった。交流戦の時に話したけど、イースタンでやったことがあるから、DHなしでも大丈夫ですよなんていっていた。経験を上手く生かしたんやないかな」

 ユニフォームを脱いだ時、「行ったことのない雪祭りに行きたい」といっていた岡田だが、精悍な表情に枯れた感じは見えない。

 「選手、コーチ、監督で29年、一度もユニフォームを脱がんかった。だから今はひと休み。でも、まだ、野球をずっと外から見るという年でもないし、ユニフォームを着ていない時に吸収したものを次に生かせるかもしれないいう気持ちはある。今は、いろんなものを吸収する期間と思ってる」

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