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《初めての告白》佐藤哲三「あのレースは僕しかできない」…タップダンスシチー“最悪”と“僥倖”の9馬身差圧勝【神騎乗列伝:2003年JC】
重馬場に助けられた。シンボリクリスエスやネオユニヴァース、フランスのアンジュガブリエルなど強豪が揃い、ノーマークの楽な立場だった。そしてそのおかげで一か八かの大逃げがハマった。そうでなければ、さすがにあんな差がつくはずがない。
2003年のジャパンカップで9馬身差という途方もない圧勝を飾ったタップダンスシチーの走りは、しかしその途方もなさ故に、どこか「例外」的な捉え方をされてきた。フロックとまでは言わない。だけど、あれはそれに近いレースだろう? と。
「そういう空気は当時も感じていました」
落馬による大怪我がもとで'14年に騎手を引退し、54歳となった現在は競馬評論家として活動している佐藤哲三は、あの歴史的なジャパンCについてそう振り返る。
「タップのジャパンCが騎乗の面から取り上げられることがほとんどないのは、ああいうレースを他の騎手たちはしていないし、目指してもいないからでしょう。あれは他の騎手には真似できないものだと、僕は今でもそう思っています」
ひどく尖った「ギャンブルレーサー」だった。
佐藤は、競馬学校に入るまで競馬をほとんど知らなかった。騎手に興味を持ったきっかけも、中学2年生の頃、カツラギエースという有名な馬の馬主が同じ市内の在住だと知ったという、小さなことだった。
奇しくもその1984年、カツラギエースはジャパンCを逃げ切って勝利した。19年後、同じようにタップダンスシチーで逃げ切った佐藤は、レース後のインタビューで「カツラギエースに憧れて騎手になったので嬉しいです」と語ったが、実際のところは、当時は憧れるほど馬のこともレースのこともわかってはいなかったと明かす。
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