2012年、1月28日。前年の5月に落馬事故で頸椎を骨折する重傷を負った内田博幸は、8カ月半ぶりにレースに復帰した。共同通信杯でゴールドシップの騎乗依頼がきたのは、その直後だった。ゴールドシップの須貝尚介厩舎は開業してまだ4年めで、それまで接点はほとんどなかったと内田は言う。
「追い込み馬で、2着、2着とつづいて、勝ちきれないからということでした。須貝先生に『頼むよ』って言われて『はい、大丈夫です』って返したような」
調教には乗らず、いきなりレースだった。ゴールドシップのレースを映像で見た内田は、「ちょっとエンジンのかかりの遅い馬だなという印象だったが、スタミナはあるなと思った」という。
自分が一番で、人間より上だと思っていたんじゃないですかね。
共同通信杯は完璧なレースだった。スタートすると内田は「ついて行けるところまでついて行こうと」馬を促し、3番手で内側にポジションをとった。逃げたディープブリランテの動きを見ながらレースを進め、直線で追いだす。たしかにエンジンがかかるまでいくらか時間がかかったが、ラスト100mでディープブリランテを捉え、そのまま突き抜けた。100m足らずで1馬身3/4の差をつけてしまった。
この共同通信杯について、内田は「言葉にできないほど嬉しかった」と言った。
「復帰してすぐに重賞を勝って、おれ、まだこの世界でやっていけると思わせてくれたんですよね」
内田が復帰して最初の重賞勝ちなら、須貝厩舎にとってもはじめての重賞となった。
その2カ月後、ゴールドシップとともに皐月賞に臨む内田は、栗東トレーニングセンターに出向いて追い切りに乗った。共同通信杯のときは「気性の荒さはちょこちょこあったけど、そこまで強烈ではなかった」そうだが、皐月賞の調教では「元気がよかった。『なんだ、これ!』って思いましたもの」と言って笑った。だれもが知るゴールドシップの本性が露わになったのだ。
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