偶然か、はたまた必然なのか――。プロ野球監督本は数あれど、まったく同じ書名が書店に並んだのは、この2冊くらいではなかろうか。闘う男たちが著書に込めた熱き魂、考え方の違いを徹底比較する。(原題:[まさかの同タイトル本]著書『燃えて勝つ』を読み比べてみた)
令和の今感じる「昭和野球人」への懐かしみ。
今年話題になったドラマ『不適切にもほどがある!』(TBS系)。脚本は宮藤官九郎。主人公の小川市郎(阿部サダヲ)は“愛の鞭”と称した厳しい指導をするのが当たり前な昭和の体育教師。野球部の顧問も務め、生徒たちからは「地獄のオガワ」と恐れられていた。そんなオガワが“昭和”から“令和”にタイムスリップしてしまう。そこで改めて感じる人々とのギャップや共感を描いたタイムスリップコメディ。私はドラマを楽しく見ながらある妄想を浮かべていた。
「もし昭和の星野仙一が令和にタイムスリップしてきたら……?」
燃える男が中日ドラゴンズに監督として戻ってくることが発表されたのが1986年のオフ。『不適切にもほどがある!』でオガワが恐れられていたのも'86年という設定だ。39歳の青年監督「地獄のホシノ」が令和のプロ野球に乗り込んできたら? 不適切なのか、それとも……。
先日、妄想をさらに膨らませるニュースがあった。
『あわや乱闘…ヤクルトvs中日『警告試合』がトレンド入り 解説の清原和博さんも「野球はこうでないとね」』(中日スポーツWEB8月13日)
令和に乱闘が注目されたのだ。マナーが良い“アスリートたちのプロ野球”が人気でありつつも、乱闘に注目が集まるのはどういうワケか。正直に言えば私もアスリートとは明らかに別種の「昭和野球人」を懐かしく思ってしまう時がある。まだまだアップデートできていない証拠か? 乱闘に対し「野球はこうでないとね」と言い切ってしまう清原さんは不適切なのだろうか。
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photograph by Hirofumi Kamaya