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「僕も競輪場でトレーニングを…」闘将・星野仙一の魅力を前阪神監督・矢野燿大と“18歳でノーノー”近藤真市が語る「途中で星野さんは変わりました」

2024/09/13
(左から)矢野燿大、近藤真市
運命のドラフトで、闘将のもとに集った2人のルーキー。一人は初登板で大記録を達成し、もう一人は移籍先でも薫陶を受けた。両者が受けた指導は引退から歳月が流れた今も、心の中に根付いている。(原題:[ルーキー時代を語る]新人に残した“星野イズム”)

 中日のドラフト1位ルーキー・近藤真市が18歳で達成した唯一無二の記録、プロ初登板でのノーヒットノーランは、星野仙一が監督就任1年目で成功させた最初の傑作である。1987年8月9日、ナゴヤ球場、星野が生涯の宿敵と定めた巨人戦。近藤の抜てきは先発ローテーションの谷間に星野が打った“大バクチ”とも言われた。

 しかし、当の近藤は、「星野さんは前々からあの巨人戦に僕を先発させるプランを練っていたんですよ」と明かす。

「これを知っていたのは、星野さんのほか、二軍の岡田(英津也・監督)さん、新宅(洋志・総合コーチ)さん、稲葉(光雄・投手コーチ)さんの3人だけ。僕自身はまったく聞かされていません。のちに随分経ってから、実はこういうことだったんだと新宅さん、稲葉さんに教えてもらいました」

綿密な計画の下で調整させるも、距離を置いて見定める。

 星野のプランは開幕前、近藤の状態を見極めることからスタートした。オープン戦が終わるとすぐ、近藤が享栄高校時代に痛めた左肘を完治させるため、星野は近藤に腹心の金山卓嗣二軍バッテリーコーチを付け、秘かに岡山県玉野市へ向かわせた。

「そこに、星野さんの個人的な知り合いで、独特の施術をする“先生”がいたんです。1カ月の滞在中、玉野競輪の選手が先生の下に通っていたので、僕も競輪場でトレーニングをしました。バンクやローラーの上で黙々と自転車をこいでいたものです」

入団発表の際、近藤(右)は「監督のように気合で投げる投手になりたい」と抱負を述べた Mainichi Newspapers
入団発表の際、近藤(右)は「監督のように気合で投げる投手になりたい」と抱負を述べた Mainichi Newspapers

 ローラーは負荷のかかる練習で、ペダルを軽く踏むだけでは回せない。これを毎日汗まみれになってこぎ続けることにより、近藤は下半身を強化させていく。

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photograph by SANKEI SHIMBUN

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