時代が日本サッカーに追いついた――そんなことを言うと「サッカーの母国」イングランドの庶民は眉間に皺を寄せるかもしれない。しかし、近年のプレミアリーグで“プレーする”日本人フットボーラーの増加傾向は、技術の進化だけでは語れない。
昨季は、過去最多の4人がリーグ戦のピッチに立ち、過去最高の計80試合で戦力となった。今季は、開幕を前に鎌田大地と菅原由勢が、それぞれクリスタルパレスとサウサンプトンに加入。出場人数と試合数の双方で記録更新が見込まれる。
21世紀に入るまでトップリーグに日本人は不在だった。
イングランドのトップリーグには、21世紀に入るまで日本人が不在だった。当時のサッカーはフィジカルが滅法強く、縦に速いスタイルだった。プレミア入りの口火を切った稲本潤一は、日本人としては身体能力にも恵まれていたが、アーセナルでのプレミアデビューの機会は訪れず。チームの中盤中央には全盛期のパトリック・ビエラと、攻守に執拗なレイ・パーラーがいたのだ。
当時の日本人選手は、巷で「シャツ」と呼ばれたものだ。祖国でのユニフォーム売り上げと、日系企業スポンサー獲得による「帳簿上」の戦力だとする陰口。ピッチ上でも即戦力視されたのは、中田英寿ぐらいだっただろう。世紀の変わり目までは、イングランド人も密かに「格上」と認めざるを得なかったイタリアのトップリーグで実績を残していたためだ。その中田も、ボルトンではリーグ戦21試合出場1得点。本領を発揮できたとは言い難い。
イングランドのサッカー界が「進化」の必要性に目覚めるのは、ベスト16という早期敗退以上に内容が悪かった2010年W杯後。個としては「テクニック」、集団としては「ポゼッション」を重んじる改革要綱が発表されたのは、その4年後。もしも'05年の時点でボルトンのスタイルが中盤バイパス型ではなかったら、中田の運命は違っていただろう。
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