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【独占インタビュー】三浦知良57歳、“決断の流儀”「それがもし59歳だったら、59で終わりですよ」《「せざるを得なかった」方針転換とは?》
2024/07/13
日本中を驚かせた5度目の海外挑戦を終え、永遠の挑戦者はふたたび日本に降り立った。ピッチでボールを追い続けるキングが語る、ポルトガルでの1年半と、これからのこと。(原題:[57歳の告白]11 三浦知良「情熱が続くかぎり」)
57歳の迷いなき決断だった。
期限付き移籍していたポルトガル2部オリベイレンセでの契約を終え、5月に帰国したカズは、6月25日、国立競技場でJFLアトレチコ鈴鹿への移籍会見を行った。その冒頭でカズは、こう明かした。
「やはり決断というのは、そんな簡単なものではなく、やる以上は、自分は100%グラウンドで情熱を燃やしたい。自分がグラウンドに立ったとき、頭の中が常にリフレッシュされた状態で、情熱を持って本当に毎日立てるのか、できるのかと自分に問いかけた。でも僕にはいま、『やめる選択』というものはないので、どこでどういうふうにこの情熱を出すか、表現できるかを考えて、やはりアトレチコ鈴鹿がベストじゃないかと選択しました」
カズがブラジルでサントスFCとプロ契約したのは、19歳になる2日前の1986年2月24日のこと。以来、実に38年以上の長きにわたってプロ選手としてプレーを続けてきたが、さらに新たなフィールドを求め、アトレチコ鈴鹿を選んだのだ。
'90年にブラジルから帰国したカズは、その後、日本リーグからJリーグへの転換期を先導し、日本にプロサッカーを定着させる。その間には、イタリアセリエA、クロアチアリーグでも戦い、アジア人としてさまざまな足跡を残してきた。Jリーグで、日本代表で、常に先駆者として道を切り拓き、日本サッカーの礎を築いてきたのだ。
そしてもちろん、その長きにわたる選手生活においては、難しい「決断」の場面が幾度となく用意されていた。
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photograph by Megumi Seki