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「ハセは戦友であり、家族」大久保嘉人が今も“怪人”長谷部誠に感謝する理由とは?《手料理は「ザ・日本のカレーって感じ」》

2024/06/15
'08-'09シーズン、大久保は9試合に、長谷部は25試合に出場してリーグ優勝に貢献した
15年前、鬼軍曹に率いられブンデスリーガの頂点に立った。「破天荒」な点取り屋と、「真面目」なボランチ。世間一般では対照的な性格と認知されている2人が、わずか半年間で築き上げた、固い絆の物語――。(原題:[2009年のヴォルフスブルク]大久保嘉人「愛と絆のカレーライス」)

 怪人。大久保嘉人の記憶の中で、一番最初に思い浮かぶ長谷部誠の姿だ。

 2009年、ヴォルフスブルクの本拠地フォルクスワーゲン・アレーナの近くにあった大久保の自宅リビングでは、いつもこんな光景が繰り広げられていた――。

 当時、幼稚園児だった大久保の長男・碧人くんが、嬉しそうに駆けまわっている。腰には、お気に入りの仮面ライダーベルト。全力で変身ポーズを決めて、鋭いライダーキックを放つ。すると、怪人ハセベマコトが「うわぁ~」と叫び、ド派手に倒れる。何度も何度も繰り返される戦闘シーンを、大久保夫妻は優しく眺めていた。

「この間の引退試合の後も、ハセは父親の顔になっていましたけど、当時から子ども好きでね。遊ぶのもすごく上手だから、碧人も喜んで。いつも『ハセ! ハセ!』って、なついていましたよ」

AFLO
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4人でご飯を食べて、遊びに行って、家族のように過ごした。

 15年前の冬、大久保はヴィッセル神戸からヴォルフスブルクへ移籍した。当初は一家3人でホテル暮らしをしていた。シーズン途中の加入で右も左もわからない中、練習場までは凍結した道を運転しなければならない。そこに手を差し伸べたのが、前年からこのクラブに在籍する長谷部だった。

「運転も慣れているから『一緒に行きましょう』って、ホテルまで迎えに来てくれて。俺はドイツ語を全く話せないから、練習中のコーチや監督の指示もハセが通訳してくれた。あいつがいてくれて、俺自身も、家族にとっても本当に助かったんです」

 大久保が自宅を見つけてホテルを出てからは、妻・莉瑛さんが作る夕食を毎日食べに来るようになった。たまのオフに出かける旅行も一緒。長谷部がハンドルを握り、大久保が助手席、莉瑛さんと碧人くんが後部座席に座った。

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photograph by AFLO

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