心と身体を極限まで研ぎ澄ませた先に待っていたのは、日本とドイツ、両国の人たちから、そのキャプテンシーとプロフェッショナリズムを祝福されるという、日本人選手が到達したことがない景色だった。
2024年5月18日、フランクフルト対RBライプツィヒ戦のラスト3分、長谷部誠はボランチとしてピッチに立ち、22年間のプロサッカー選手としてのキャリアを完結させた。
通常、引退後にあるのはマラソンを走り抜いたあとのように、精神的にも肉体的にも消耗した姿だ。「お疲れ様でした」と声をかけるのが一般的だろう。
だが、長谷部にはそれが当てはまらないように思う。不純物を取り除くために己を叩き、鍛錬を繰り返す――40歳の最後まで輝いた姿は、日本刀の名刀をつくりあげる工程を連想させる。「見事でした」という言葉がふさわしい。
なぜ長谷部は国を超えた唯一無二のキャプテンになれたのだろう?
引退会見から3日後の5月27日、文藝春秋社内で約2時間にわたって話を聞いた。
日本代表主将になりまずしたのは「何もしない」こと。
――まずは時計の針を'10年5月に巻き戻させてください。日本代表の岡田武史監督は不調に陥ったチームをテコ入れするために、26歳の長谷部誠をゲームキャプテンに抜擢しました。当時、何に一番エネルギーを使いましたか。
「まずは先輩との関係ですね。それまでキャプテンを務めてきた中澤佑二さんとは直接話をして思いを伝えましたし、すごく助けてもらいましたが、(田中マルクス)闘莉王さんみたいな自己主張が強い先輩たちがいたんで(笑)。川口能活さんがチームキャプテンとしてまとめてくれていたので、僕はとにかく出過ぎないようにしていた。試合のときにキャプテンマークをつけるだけくらいの感覚が、一番チームがうまくいくと考えていました」
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