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「おとなしくて無口でした。でも…」メッシは主将としてなぜアルゼンチンを世界一に導けたか?<マラドーナらも纏った“カウディージョ”の資質>

2024/02/19
カタールW杯のスタンド
2022年、大会初戦でまさかの黒星を喫しながら、カタールの地で36年ぶりに世界の頂点に立った。これまで3度、W杯を制した「南米の雄」の主将は、仲間の力を引き出す共通の資質を備えていた。

 122年という長い歴史を誇るアルゼンチン代表において、3度W杯王者に輝いたチームには、ピッチ内外で圧倒的な影響力を発揮するキャプテンがいた。

 1978年大会のダニエル・パサレラ、'86年大会のディエゴ・マラドーナ、そして'22年大会のリオネル・メッシである。W杯で勝つために必要なキャプテン像のベースができたのは、'77年、セサル・ルイス・メノッティ監督がパサレラを任命したことが始まりだった。

散り際においても見せたキャプテンのプライド。

「メノッティは'74年W杯でどん底に堕ちたアルゼンチン(2次リーグ敗退)を再建して威厳を取り戻すため、チームが必要としていた真のキャプテンを選びました」

 そう語るのは、20代の頃から40年以上にわたり第一線で取材にあたるジャーナリスト、ダニエル・アルクッチだ。

「自国開催となった'78年大会の優勝を目指し、メノッティはまだ24歳のパサレラをキャプテンに抜擢しました。あのチームにはウバルド・フィリョルという誰もが認めるリーダーに、マリオ・ケンペスというスターがいたにもかかわらずパサレラにキャプテンを託したのは、彼が“カウディージョ”だったからです」

 カウディージョとは本来「軍を率いて闘う政治的なリーダー」の俗称だが、アルゼンチンと隣国ウルグアイではスポーツ界でも使われている。アルクッチ曰く「仲間の士気を鼓舞しながらチームを先導し、問題があれば真っ先に立ち向かう、ピッチの中でも外でも闘うリーダー」を指す。

'78年W杯優勝トロフィーを掲げるパサレラ。'89年の引退後、代表監督も務めた AFLO
'78年W杯優勝トロフィーを掲げるパサレラ。'89年の引退後、代表監督も務めた AFLO

 確かにパサレラは「闘うキャプテン」だった。'78年大会でトロフィーを掲げる栄光の瞬間と並んでよく知られているのは、'82年大会の最後の試合となった2次リーグのブラジル戦(1-3)で、敗退確実な状況下、相手ゴール前で誰よりも高く跳んでヘディングシュートを狙ったシーンだ。

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photograph by KYODO

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