記事を
ブックマークする
「おとなしくて無口でした。でも…」メッシは主将としてなぜアルゼンチンを世界一に導けたか?<マラドーナらも纏った“カウディージョ”の資質>
122年という長い歴史を誇るアルゼンチン代表において、3度W杯王者に輝いたチームには、ピッチ内外で圧倒的な影響力を発揮するキャプテンがいた。
1978年大会のダニエル・パサレラ、'86年大会のディエゴ・マラドーナ、そして'22年大会のリオネル・メッシである。W杯で勝つために必要なキャプテン像のベースができたのは、'77年、セサル・ルイス・メノッティ監督がパサレラを任命したことが始まりだった。
散り際においても見せたキャプテンのプライド。
「メノッティは'74年W杯でどん底に堕ちたアルゼンチン(2次リーグ敗退)を再建して威厳を取り戻すため、チームが必要としていた真のキャプテンを選びました」
そう語るのは、20代の頃から40年以上にわたり第一線で取材にあたるジャーナリスト、ダニエル・アルクッチだ。
「自国開催となった'78年大会の優勝を目指し、メノッティはまだ24歳のパサレラをキャプテンに抜擢しました。あのチームにはウバルド・フィリョルという誰もが認めるリーダーに、マリオ・ケンペスというスターがいたにもかかわらずパサレラにキャプテンを託したのは、彼が“カウディージョ”だったからです」
カウディージョとは本来「軍を率いて闘う政治的なリーダー」の俗称だが、アルゼンチンと隣国ウルグアイではスポーツ界でも使われている。アルクッチ曰く「仲間の士気を鼓舞しながらチームを先導し、問題があれば真っ先に立ち向かう、ピッチの中でも外でも闘うリーダー」を指す。
確かにパサレラは「闘うキャプテン」だった。'78年大会でトロフィーを掲げる栄光の瞬間と並んでよく知られているのは、'82年大会の最後の試合となった2次リーグのブラジル戦(1-3)で、敗退確実な状況下、相手ゴール前で誰よりも高く跳んでヘディングシュートを狙ったシーンだ。
「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています