2013年頃に名古屋でのアイスショーで羽生結弦選手にご挨拶する機会がありました。そのときにたった数分の立ち話のなかで何度も「自分はこんなものではない。もっと上を目指さなければ」と口にされていました。“一流と呼ばれる人はこれほどの向上心と成長への執着を普段から保ち続けているのか”と圧倒されたことをよく憶えています。
'12─'13シーズンから羽生選手が2季に渡って演じたSPの『パリの散歩道』。ソチ五輪のときは、私も夜遅くまでテレビで観ていました。4年に1度の五輪、それも数分間の極限にまで凝縮された舞台での特別な演技は、息をのむほど本当に素晴らしいものでした。
良い意味での非文明的な香りが感じられる『パリの散歩道』。
ソチ五輪後、レコード会社の強い希望でこの曲をピアノバージョンにアレンジしてアルバムに収録したことがあります。ギター演奏による原曲の響きをそのまま再現するというより、ピアノという楽器の響きの特性に合わせて曲調を調整しました。ピアノは音が鳴った後、そのまま減衰する楽器なので、エレキギターの密度の高い音を再現するのは無理があります。当時、私は原曲のメロディと和声は残しつつ、リズムやテンポを変えることによって違う雰囲気を出せるように意識しながらピアノを弾いていました。
この作品には、クラシック音楽には存在し得ないような、良い意味での非文明的な香りが感じられます。ロックやポップスを好む人が多いことでもわかるように、『パリの散歩道』のような楽曲は、人間の教養や常識、理性といったものを超えて強烈に心を支配するようなパワーを持つ場合もあります。だからこそ羽生選手の演技も、審判員や観客に魅力的かつ印象に強く残ったのではないでしょうか。
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