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「オレもいけるんじゃね?」イチローに《34打数8安打》で松坂大輔が膨らませたMLBへの意識と「ワク」の存在~連載「怪物秘録」第35回~

2023/11/21
日本一を決めたあとの日米野球でメジャーリーガー相手に勝利。以前から秘めていたアメリカ行きの思いはさらに強くなる。しかし、国内最強投手を名乗るためには倒さなければいけない男がいた。

 2004年の秋、日米野球が行われた。ドジャースの石井一久、パドレスの大塚晶則を含むMLBのメンバーにはロジャー・クレメンス、デイビッド・オルティス、マニー・ラミレスといったビッグネームも含まれている。松坂大輔はこの年、初めて日米野球の全日本のメンバーに選ばれた。

◆◆◆

 僕は第6戦に先発して、完投勝利を挙げました。完投勝利は川口(和久)さん以来、20年ぶりだと言われましたが、正直、日米野球だからという張り詰めた気持ちはなかったですね。向こう(MLB)の選手に知っておいてもらおうかな、くらいの感じでした。あの年はシーズンからアテネ五輪、日本シリーズまで投げてきて疲労も溜まっていましたし、シリーズが終わって1週間、ノースローにしたんです。肩の状態もあまりよくなかったし、2試合投げる予定でしたが、最初の方の試合に投げるのには時間が足りなかった。だから全日本の監督だった王(貞治)さんにそう伝えました。

 結局、第6戦になったら、パピー(オルティス)もマニー(ラミレス)も出なかった。マニーに至っては早々にアメリカへ帰っちゃったんじゃなかったかな(苦笑)。パピーとマニー、のちにレッドソックスでチームメイトになるんですが、当時はそんなことは想像することもなく、ただ対戦してみたいと思っていました。それが叶わなくて拍子抜けしたというか……それでもミゲール・カブレラ、モイゼス・アルー、カール・クロフォード、ビクター・マルティネスもいたな。アレックス・コーラからはチェンジアップで三振を取ったのを覚えています。あれは確か6回、ジャック・ウィルソンの打球をレフトの佐伯(貴弘)さんが後逸して1点が入ったんですけど、あれがなかったら完封でしたね(笑)。試合後、佐伯さんには謝られちゃいました。

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photograph by Kiichi Matsumoto

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