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「ラグビーの本質は”リンク”です」ピーター・ラブスカフニが「100%の信頼」で手にした誇り<リーチへの率直な思いとは?>
この人がいなければ、日本代表の物語は違ったものになったのではないか?
ワールドカップが終わってから取材を進めるうち、「ラピース」ことピーター・ラブスカフニの存在が、代表において重要な役割を担っていたことが浮かび上がってきた。まずは数々の証言の断片を紹介したい。
「ジェイミーは、代表資格が不透明だったラピースを、絶対にW杯スコッドに入れると2018年の段階から決めていた」
「'19年に入ってから、チーム内でのラピースの存在感が増してきた」
「アイルランド戦、サモア戦とキャプテンを務めたのはジェイミーの信頼でしょうね」
ラピースは1989年、南アフリカの首都、プレトリアに生まれた。大学卒業後、スーパーラグビーでプレーするようになり、'13年の秋には南アフリカ代表に選出された。が、試合には出場しなかったことで、日本代表の資格取得の可能性が残された。
'16年から新天地クボタでプレーするようになって、それがジェイミー・ジョセフの目に留まる。以後は出世街道へ。'18年からサンウルブズの一員となり、'19年になって南アフリカ協会、そして統括団体であるワールドラグビーからの許可が下り、7月27日に釜石で行われたフィジー戦で初キャップ、しかもキャプテンの重責を担った。桜のジャージを着てのプレー、それはラピースが待ち望んでいたことだった。
「実は、正式に代表資格を得たのが'19年の7月21日でした。そして27日のフィジー戦ではキャプテンを任されました。自分が愛する国を代表し、自分が大好きなラグビーをプレーする。これはとても名誉なことであり、忘れられない日になりました」
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