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「あのスライダーは今ならスイーパー」36歳のオールドルーキー・齋藤隆はいかにMLBで再生したか?【日本の若手へ警鐘も】

2023/07/08
17年前、「一度でいいからメジャーで投げたい」と、当時36歳のクローザーは熾烈な生存競争に身を投じた。そこで勝ち抜くために最大の武器となったのは日本では自信が持てなかった、ある変化球だった。

 2006年、齋藤隆は13シーズン在籍した横浜を離れ、アメリカへと挑戦の舞台を移し、ドジャースとマイナー契約を結んだ。開幕時はマイナー行きを命じられたが、4月9日にメジャーで初登板を果たす。

 36歳、オールドルーキーの誕生である。

 その後は実力でブルペンでの番手を上げていく。5月15日に初セーブをマークすると、夏にはクローザーに定着。最終的には24セーブを挙げ、WHIP(1イニングあたりに出した走者の数)は0.91と、ナ・リーグのクローザーではナンバーワンの数字を残した。そして、シーズン終了後のサイ・ヤング賞の投票では8位。齋藤はアメリカで「自己再生」を果たしたのだった。

「えっ、あの時、僕に票が入ってたんですか。いま、初めて知りました」

 そう言って顔をほころばせた齋藤だが、彼の武器となったのは変化球だった。特に曲がり幅の大きいスライダーが決め球となり、三振の山を築いた。78回1/3を投げ、107個の三振。まさに相手を圧倒、ドミネートするクローザーだった。当時を振り返って思う。あのスライダーはいまで言うなら「スイーパー」だった。

「そう言ってもらえたらうれしいですね。メジャーでショートイニングを任される場合は、全球種が決め球で、全球種がカウント球として使えないと生き残れません。とにかく自分の持ち球を全部試していくわけですが、スライダーはそれほど自信があった球種ではなかった。日本のプロ野球では、変化が大きすぎて打者のバットが止まって、ボールになることが多くて」

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photograph by Keisuke Kamiyama

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