かつて本場の豪腕と投げ合った経験は、指導者となった今、どう生きているのか。ロッテの監督として“豪腕”と接する日々で思い出すのは、あの投手との勝負だ。
雨上がりのアトランタで身震いした。
吉井理人はいまでも24年前の秋を昨日のことのように憶えている。メッツで先発投手として2年目、34歳だった。チームはブレーブスとワールドシリーズ出場を懸けてナ・リーグ優勝決定戦に臨んだ。
1999年10月12日。
初戦の大役を任されたのが吉井だった。日本人初の同決定戦先発はサイ・ヤング賞4度のグレッグ・マダックスとの投げ合いになった。初回に先制されたが、シーズン45本塁打のチッパー・ジョーンズを投ゴロに抑えるなど3、4回を三者凡退で締めた。
だが5回に左足首を痛め、勝ち越し打を許して降板。ベンチで帽子をたたきつけた。
「悔しくて悔しくて、もっと投げたかった。自分へのふがいなさもあるけど、代えられたことに腹が立って、大暴れしました」
5回途中2失点。伝説の投手と互角に戦っても満足はなかった。17日の第5戦も中4日でマダックスと再戦し、序盤はリードを守る快投を見せたが、先に降板した。
「結局、マダックスには一度も勝てなかったですね。0-1で惜しい試合('99年6月27日に7回1失点)もあったけど……。あとは、やられっぱなしです」
'90年代半ばの米球界に野茂英雄が先駆者として挑み、近鉄の同僚だった吉井も続いた。日本にいた頃からメジャー通で、自宅にロジャー・クレメンスのポスターを飾っていた。サイ・ヤング賞7度の剛腕とは対戦できなかったが「いまも一番、カッコいい投手」と畏敬の念をもつ。だが、目の前で戦うマダックスにはちがう感情があった。
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photograph by Keisuke Kamiyama