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[新聞&テレビの担当者が明かす]異能の解説者はなにを観たか

2022/09/09
後の“名将”が、まだいち野球評論家だった数年間、彼らはネット裏からどのような視線を送っていたのか。当時、メディア側の担当者として接した2人が明かす。

「明日の一面、見出しの“落合”だけは決まっているからな。あとはなんとかしてくれ」

 明日も、ですか……。

 デスクの言葉にため息をつくのは日刊スポーツのロッテ番記者、三浦基裕。1986年のオフ、球界は落合博満のトレードで蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。

「落合さんを一面にしたら売れるので、30日以上、毎日一面の記事を書く羽目になりました。さすがにネタも尽きたころ、大島の三原山が突然噴火して、落合さんの連続一面がようやく止まったんです」

 三浦が一面の記事を書き続けたのは、落合が本音を語る唯一の記者だったからだ。

 '86年、上層部との衝突から降格人事のような形でロッテ番となった三浦は、ほどなくして落合から信頼されるようになった。選手と報道陣が同じホテルに宿泊した鹿児島キャンプ、落合は毎晩、三浦の部屋の回線で信子夫人と長電話をしていたという。

 それから13年後、現役を退いた落合は三浦とのつながりから日刊スポーツの評論家となる。このとき落合が提示した条件は、「2月のキャンプでは、毎年全球団まわらせてもらうからな」。すでに管理職となり、現場から離れていたが、落合とともにキャンプ巡りをすることになった。

「キャンプイン直後は基礎練習が多いので、落合さんが視察するのは2週目あたりから。そこから12球団をまわろうとすると、各球団1日か2日しか見られない。評論家には多忙なスケジュールを敬遠する人も少なくないですが、落合さんは一切文句をいわずに毎年視察を続けていましたね」

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photograph by Jun Takahashi(Illustration)

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