コロナ禍の東京五輪を観ながら、冬季五輪のベテランが捉え直した、国を代表する意味。いまオリンピアンであろうとしている自分は、元来スキーヤーで、その前に父親でもあった。日本代表の旗手は5度目の大舞台に、解放され変わっていく己を感じている――。
北アルプスは青々とした緑を湛え、蝉たちの声は雲に届き、街の景色は陽炎となって揺れていた。冬はまだ遠くにあった。
昨夏、渡部暁斗は長野市内の自宅で東京五輪を眺めていた。夏季大会をそんなふうに観るのは初めてだった。少なくとも高校生で初めて出場した2006年のトリノ五輪以降、夏場は欧州に試合や合宿に出向くのが恒例になっていたからだ。
五輪のことなら人並み以上に分かっている。ところが、日本にいてテレビで観る五輪は、渡部の知るそれとは少し違っていた。
「ヨーロッパで観ると、注目競技が違って、日本人が映るわけでもない。言葉もドイツ語だったりして、ただの試合を見ている感じであまり実感がなかったんです」
日本ならば当然日本人の活躍に焦点が当たる。一挙一動を取り上げられる選手の姿、そこに想いを重ねる人々の気持ち。「日本を代表するってこういうことなんだ」とようやく実感できた。
「あくまで自分は日本人で、日本代表としてやるべき一番のことは、日本人に観られることなんだろうと思いました」
これまでの渡部はW杯総合優勝を目指す中での通過点として五輪を位置づけてきた。五輪は国別の出場人数制限もあり、強豪国の選手全員が参加はできない。スキー競技は気象条件の運不運もある。だからこそ、単発の五輪よりも長いシーズンの結果としての総合優勝に価値があると言い続けてきた。その主張が世間にもメディアにも響いていないとは薄々勘づいていながら、別に分かってもらえなくてもいい、というぐらいのこだわりは持っていた。
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photograph by KYODO