東京五輪混合ダブルス。中国を打ち破った2人は、同じ街で生まれた。年も違えば性格も異なるが、彼らの原点を地元の証言から辿ると、突き抜けた2つの個性をつなぐ不思議な“縁”がみえてきた。
磐田市は天竜川東岸に広がる静岡県第五の都市である。隣接する浜松市のベッドタウンであるためか、背の高い商業ビルや工場は少なく、空が広く見える。同じ高さの家々が身を寄せる平らな街だ。
1990年代半ば、水谷万記子は夫とともに地域の卓球クラブに所属していた。ともに学生時代から嗜んでおり、夫婦の縁を結んだのもピンポン球だった。
「ちょうどその頃、テレビで福原愛さんを見て、小さなお子さんでも卓球ができるんだと知りまして。自分たちの子供たちを集めて始めてみようと考えたんです。強くするというより、一緒に楽しもうという感じでした。磐田はジュビロがあってサッカーが盛んでしたし、卓球がスポーツと認められていたかもわからない時代でしたから」
「豊田町卓球スポーツ少年団」が発足したのは日本スポーツ界がドーハの悲劇に打ちひしがれた直後の1994年春だった。
船出にあたってスローガンを決めた。
『夢に向かって』
大人も子供も、それぞれが抱く夢を叶える場所でありたいと願ったからだった。
その中で、一期生として入団した次男の隼が才能を示し始めた。小学2年生で全国大会に優勝したのだ。
「当時は日本の卓球が世界で戦えるなんて考えていませんでしたから、私たちの目標は全中(全国中学校卓球大会)に出ることだったんです。オリンピックに行けるかもしれないなんて想像もしませんでした」
やがて日本卓球協会から強化練習に呼ばれるようになった。居間にトロフィーが増えていくと、水谷家の12畳間の子供部屋には、卓球台が置かれるようになった。夢は少しずつ膨らんでいった。
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photograph by Asami Enomoto