美しく、しなやかな演技で東京五輪の主役となった。2つの金、1つの銀メダルを手に入れた強さの源とは何か。基礎の重要性、多彩な離れ技を教えた2人の名伯楽と誰よりも素顔を知る兄が明かす、新王者の成長録。
緑豊かな自然のそのまた奥に、金メダリストの原点はあった。東京から1時間ほど車を走らせた千葉県香取市にある体育館。2人いる兄の背中を追って体操を始めた橋本大輝が、6歳から15歳まで通った佐原ジュニア体操クラブだ。
最初に入会したのは橋本より5学年上の拓弥さん。体育教師でバスケットボールの指導者である母について行った体育館の半面で行なわれていたのが、佐原ジュニアの練習。それを見て惹かれた。次男の健吾さんと橋本は、数年後に加わった。
「小さいころの大輝は、僕や健吾に必死についていこうというイメージだったと思います」(拓弥さん)
橋本家は千葉県成田市に代々続く農家。庭が広く、放課後は3人で野球やサッカーも楽しんだ。東海大学大学院まで体操を続け、昨年引退した拓弥さんは橋本家の生活をこのように語る。
「うちは両親が公務員で共働きなので、佐原ジュニアに車で送ってくれていたのは2年前に亡くなったおじいちゃんでした。食事をつくってくれるのはおばあちゃん。僕ら兄弟はみんな、実家のご飯が大好き。特にカレーは大輝も好きだと思います」
佐原ジュニアで子供たちを指導するのは、東海大学体操競技部出身で高校教師を務める山岸信行さんだ。
「橋本は特別光っていたわけではないですよ。ただ、橋本家は3兄弟ともよく練習をする子供たちでしたね」
教え子が世界一になったうれしさが、柔らかい笑みの向こうからにじみ出ている。
「私が佐原ジュニアを始めたのが1982年ですから、40年間の集大成が橋本の東京五輪の金メダル。これは全国のジュニアクラブの情熱の集大成でもあります」
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