「1988年のF1日本GPは本当に突然のことで、準備は何もできていないし風邪気味で体調も優れなかったんだ。しかも、F3000とほとんど変わらないと思ってドライブしたF1は、1周のラップタイムが5秒も速くて全然違った。本当に辛かった」
'88年10月に鈴鹿サーキットで開催されたF1第15戦日本GPまで、アラン・プロスト、アイルトン・セナを擁するマクラーレン・ホンダが14戦13勝と、圧倒的な強さを誇っていた。その最盛期に、ラルースからF1デビューを果たした鈴木亜久里。このデビューは、ヤニック・ダルマスの病気欠場により急遽決まったもので、テレビのF1中継の解説者として鈴鹿入りする新幹線の中で知らされたという。同年、亜久里は全日本F3000でチャンピオンを獲得し、翌'89年からヤマハと組むザクスピードでF1デビューすることが決まっていた。
亜久里はF1初参戦のコックピットから当時の最強軍団をどう見ていたのか。
「僕が乗ったクルマのエンジンは3.5LでNA(自然吸気)V8のフォード・コスワース。対して、ホンダは1.5LのV6ツインターボとパワーがまるで違った。クラスの違うクルマで戦っていたようなもので、ホンダ・エンジンのストレートスピードは圧倒的に速い。だから、周回遅れで抜かれるときはあっという間に抜かれてしまった。その違いは、当時の予選タイムを見てくれたら分かると思うよ」
ホンダ創業者の本田宗一郎は優しいおじさんでした
ポールポジションを獲得したマクラーレン・ホンダのアイルトン・セナが1分41秒853、20番手の亜久里が1分46秒920と5秒067の差であった。「自分はF3000より5秒速いだけで驚いていたのに、それよりもさらに5秒速いホンダ・エンジンを搭載するマシンはどうだったのか、想像するだけでも凄いよね」とホンダ・エンジンの凄さを振り返る。
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