市内を流れる石川沿いの小さなグラウンド。決して広くはない球場から、一人の投手がアメリカへ羽ばたいた。今や世界にその名を轟かす男のルーツを辿る。
2020年、ダルビッシュ有のグラブには鳥が羽を広げたようなエンブレムが刺繍されていた。ウイルスによって人と人が分断されたシーズン、彼はその勇壮なシルエットとともにマウンドに立ち続け、シカゴ・カブスのエースとして勝ち続けた。
あの印は何を意味していたのだろうか。
《あれは羽曳野の市章なんですよ。うちのチームのユニホームにも入っています》
山田朝生はブラックコーヒーをすすりながら言った。大阪から奈良方面へ、近鉄南大阪線を下ること20分。古市駅からほど近い純喫茶に紳士はいた。白髪は襟足まで均一に刈り込まれていて、格子柄のグレージャケット、黒いスラックスにはシワひとつない。物腰ひとつひとつに戦後昭和を生きてきた厳格さと慎ましさを感じさせる人だ。
《有は根っから、ここの子なんですよ。私はずっとあの子に、お前は河内の子や、河内の子やって言うてきたんです》
言葉に大阪南東部、河内地方の訛りがある。齢73、羽曳野で初めての硬式野球チーム「羽曳野ボーイズ」を立ち上げ、人生の大半をこの土地で過ごしてきた。そんな山田が、あのエンブレムの意味に思いを巡らせた。異国のスタジアムではほとんど通じることのなかったであろう印章はつまり、この場所で過ごした時間とダルビッシュ自身を繋ぐものであり、彼のアイデンティティでもあるという――。
スポーツ選手に必要なものをイラン人の父から
21年前の晩冬だった。羽曳野ボーイズの監督として、山田がいつものように河川敷のグラウンドに立っていると、土手の上にひときわ目を引く父子が現れた。夕陽の中をこちらに向かってくる背の高い少年に、山田は目を奪われた。
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photograph by Takuya Sugiyama