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<私が裁いた名勝負> 10・8決戦を動かした落合の“いつもどおり”。

2020/09/01
語り継がれる名勝負をその演者のひとり、審判が振り返る。彼しか知らない新たな景色が見えてくる。

1994年 プロ野球セ・リーグ 最終戦
中日 3対6 巨人
10月8日/ナゴヤ球場

初回裏、中日は1死一、二塁のチャンスを作るが、大豊が併殺。一方の巨人は2回、今中から落合が先制弾。すぐに追いつかれるも槙原から斎藤に繋いでピンチを脱出。さらに3回に勝ち越し、4回には2本塁打で3点差とすると7回裏から桑田が無失点で抑え、長嶋監督が宙に舞った。

   ◇

「万が一、巨人と中日の最終決戦で優勝が決まるような状況になったら、小林球審にやってもらうからな」

 山本文男セ・リーグ審判部長から内示を受けたのは、試合の3週間前です。多くの先輩がいる中で選ばれたことは、とても光栄でした。その反面、ミスをしたら審判生命が断たれる可能性もあると覚悟しました。

 国民的行事。巨人の長嶋茂雄監督が称したとおり、試合開始2時間前にナゴヤ球場入りすると、スタンドはすでに超満員。外には機動隊や装甲車が並んでいて、異様な雰囲気でした。よく「10・8のときは緊張したでしょ?」と聞かれるのですが、アンパイアが最も緊張するのは、グラウンドに入る1分前です。そこでぐっと血圧が上がる感覚がある。ただし、一歩グラウンドに足を踏み入れてしまえば、まな板の鯉です。いつもどおりの判定をするしかない。10・8のときも、同じ。そこで冷静になれないアンパイアは、良い仕事ができません。

 ところが試合展開は“いつもどおり”ではなかった。巨人の先発・槙原寛己君の大乱調、中日の度重なる走塁ミス、松井秀喜君のまさかの送りバント、立浪和義君のヘッドスライディングによる負傷退場。両チームのこの試合に懸ける思いが、普段ならあり得ないようなプレーを生みました。

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