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「あの電話のことは忘れられません」カープ新井貴浩監督が語った“敵将”で“先輩”岡田彰布の「凄み」とは何か?【インタビュー】

2024/12/06
2023年から広島カープの監督を務める新井貴浩
横綱相撲で自らの挑戦を、カープの野球を受け止めてくれた人はもういない――。かつて岡田の下でプレーした赤い指揮官は、一抹の淋しさを漂わせていた。動と静。しかし正反対のようで深い部分で通じ合っていた2年間の戦いを語る。(原題:[敵将の視点]新井貴浩「来年もプロレスしたかった」)

「すごい負けず嫌いの方なんで、岡田さんは。だからまだ監督やられるんだろうと、自分はてっきりそう思ってたんで。ちょっと、なんか残念なんです。来年も岡田さんと、岡田監督率いるタイガースと戦いたかった。これが正直な気持ちです」

 新井貴浩はライバル球団の監督同士であるうちは口に出せなかった思いを吐露した。宮崎県日南市の夕刻、西陽を浴びた表情に惜別の色が見てとれた。

 かつて岡田彰布が率いる阪神でプレーヤーとして戦い、その後、監督としても相見えた特異な関係性が両者にはある。何より過ごした時間と交錯した思いが濃密だった。

「やはり自分にとって岡田さんという人は特別な存在です。自分を阪神に呼んでくれた人でもあるし、その2008年にいろいろなことが起きましたから。開幕からずっと突っ走ってマジックも点灯して、自分が怪我をして、そこからジャイアンツに……」

 いまだ新井の胸に焼き付いているもののひとつが、阪神の主砲として残した悔恨である。

 ――2008年、岡田阪神はペナントレースを独走していた。7月末には2位巨人に10ゲーム以上の差をつけて、優勝マジック46を点灯させた。その原動力の一つが、広島カープからフリーエージェントで移籍してきた新井だった。岡田から主軸を任せられると、それに応えて7月までに50打点以上を叩き出し、得点源になっていた。

'08年、新井のFA加入に、岡田は「4番が2人いるようなもの」とご満悦 JIJI PRESS
'08年、新井のFA加入に、岡田は「4番が2人いるようなもの」とご満悦 JIJI PRESS

 だが、水面下では暗転の兆しが忍び寄っていた。その年は8月に北京でオリンピックが開催された。日本代表の主砲でもあった新井は腰痛を抱えながらも強行出場したが、帰国直後に第五腰椎の疲労骨折が判明したのだ。

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photograph by Ryo Kawagoe

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