天龍源一郎は日本一の“名勝負男”だ。
東京スポーツ新聞社が毎年選定する「プロレス大賞」において、天龍は年間最高試合賞を9度受賞。堂々の歴代1位であることも、そのひとつの証明と言えるだろう。
そんな天龍の数ある名勝負の中でも特別な意味を持つ試合が、1990年4月13日、東京ドームで行われた『日米レスリングサミット』でのランディ・サベージ戦だ。この一戦は、単に大観衆を沸かせたというだけでなく、のちのプロレス界と天龍自身に多大なる影響を与えた、エポックメイキングな試合なのである。
WWEが日本で嫌われていた頃。
天龍vs.サベージが行われた『日米レスリングサミット』は、アメリカのWWF(現WWE)と全日本プロレス、新日本プロレスによる、日米メジャー3団体合同興行という画期的な大会だった。
WWFのビンス・マクマホン代表は、'84年から全米マット制圧に乗り出し、'80年代末にはそれをほぼ成し遂げたことで、次の標的として日本市場への本格参入を画策した。しかし、独自のプロレスがしっかりと根付いている日本で、いきなり単独進出は困難と考え、全日本の総帥・ジャイアント馬場に共催を持ちかけたのだ。
これに対し馬場は、WWFと全日本の共催ではなく、新日本を加えた3団体合同という形での開催を求めた。そこには、全日本と新日本が協力関係であることを暗に示すことで、WWFの日本市場本格進出を牽制する意味合いがあったとされている。3団体共催であるはずの『日米レスリングサミット』が、日本テレビ『全日本プロレス中継』の特番として放送されたのは、この大会がもともと全日本とWWFの共催だったからなのである。
「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています