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「本当にめちゃくちゃな会社」「二日酔いだから誘わないで…」ジャンボ堀と大森ゆかりが暴露する全女の“3禁”破り【ダイナマイト・ギャルズ放談】
2024/11/26
クラッシュ・ギャルズの壁となり、極悪同盟にも怯まなかった。WWWA世界タッグ王座を7度も防衛した名タッグ。明るく、物事に執着しない二人が、当時の全女の実態や団体を取り仕切った松永兄弟の思い出を語り合った。(原題:[ダイナマイト対談]ジャンボ堀×大森ゆかり「3禁を破るのも抵抗がなかった」)
クラッシュ・ギャルズに先んじて、全日本女子プロレス興業(以下、全女)でタッグ戦線のトップに君臨していたのがダイナマイト・ギャルズだった。1978年に入団したジャンボ堀こと堀あゆみと、クラッシュやダンプ松本と同じ昭和55年組('80年入団)の大森ゆかり。'83年にタッグを結成した二人は、恵まれた体格とパワーを生かして同年6月にWWWA世界タッグ王座を獲得。翌年8月に3度目の対決でクラッシュにベルトを奪われるまで、7度の防衛を果たした。その強さの一方で、どちらも裏表がない性格で、ぎすぎすした組織の中にあって「全女の太陽」と呼べる存在でもあった。
堀 私たちがクラッシュを育てたと言っても過言じゃないよね。
大森 かませ犬としてね(笑)。
堀 それまでの女子プロレスはベビーフェイス対悪役が多くて、ベビー同士の戦いであそこまで盛り上がったのは初めてじゃないかな。クラッシュが相手だと女子高生がわーわーきゃーきゃーで、こっちが悪役みたいだったけど。
大森 うるせぇなと思ってたよ(笑)。勝ったところで応援もされないなら、もう徹底的に痛めつけてやるしかないって。一番覚えてるのは、後楽園で60分やったタイトルマッチ('84年1月、後楽園ホールでのWWWA世界タッグ選手権。3本勝負でフルタイムドロー)。あのときは、よく動けてたなぁ。
堀 でも、大森はチェンジを避けてたじゃん。私がコーナーに戻ると、シューズの紐を結び直すフリして逃げてた。私たちのシューズに紐はないのに(笑)。
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photograph by Kiichi Matsumoto