ジュニアで華々しい活躍を見せた最中、右足首を骨折。絶望を味わった16歳の冬から3年の時を経て、復活へと歩む不屈のスケーターが、同学年のチェンと憧れの羽生が頂点を争う4回転時代への覚悟を語った。(Number991号掲載)
「小さい頃は、思ってもいなかった時代ですよね」
穏やかに笑みを浮かべて、そう口にした。
山本草太は、その競技人生において「4回転時代」に寄り添うように歩んできた。フィギュアスケートファンなら山本を知らない人はいない。早くから将来を嘱望され、実際、国内外の大会で華々しい成績を残してきた。ただ、スケートを始めた当時、現在のように4回転が当たり前になる時代は想像さえしていなかった。
山本がフィギュアスケートをしたいと思うきっかけとなった憧れはエフゲニー・プルシェンコだった。2010年のバンクーバー五輪が心に残っているという。
「テレビで観戦していましたが、プルシェンコさんがショートもフリーも4回転を成功させた瞬間をよく覚えています」
当時は、いわゆる「4回転論争」が繰り広げられていた。リスクをとって4回転に挑むか、3回転に抑えて完成度を高めるか、互いの是非を巡り議論が起きていた。その中で、プルシェンコは挑んだ。
「当時4回転を跳ぶ選手が少ない中で成功させていてかっこいいなと思ったし、夢をもらえた。僕もいつかは、と思いました」
元々ジャンプは好きだった。
心に刻まれた4回転をめぐる状況は、その後、予想を超えた展開を見せる。跳ぶ跳ばないどころか、ジャンプの種類を増やし複数本へのチャレンジが進んでいった。
「'14年のソチ(五輪)の頃には、トップの選手たちは4回転を2種類くらいやっていて、トップに行くためにはそれが必要なんだなと思いました。スピンやステップも点数はあるんですけど、やっぱりジャンプ。フィギュア界を見ていて、そう思いました」
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photograph by Keiichiro Natsume