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戦時下で野球の存続を願い、苦闘した人々を描く群像劇。~「敵性競技」が遭遇した、想像を絶する状況~

2016/09/08

 戦時下の野球は、「ストライク・ワン」を「よし1本」などとする奇妙な訳語でやった。選手が手榴弾投げ競争をした。後楽園球場の外野は芋畑になった。そして、沢村栄治の戦死や映画化された石丸進一の特攻……こんな話が浮かんでくる。本書はそんな苦難の時代、職業(プロ)野球誕生の昭和11年(1936)から敗戦の焦土の中で野球が復活した昭和21年(1946)までを語る。プロ野球だけでなく、中等学校(高校)野球、大学野球にも目を配って、“敵性競技”の圧力に抗して「野球を続けよう」と苦闘した人たちの野球史群像劇だ。

 プロ、アマのおびただしい数の試合が簡潔に綴られる。選手が軍服、戦闘帽姿で手榴弾を投げ30m先の「的」に当てる競争は後楽園の巨人対大洋戦の試合前だ。戦局が悪化すればユニホーム、ストッキングから赤や緑の色は消え、くすんだ国防色に近くなる。ボールが不足し、集めたボールも粗悪で打球が飛ばず貧打戦が増えた。軍からの英語禁止令に苦心の対応訳語が「よし1本」だった。公式戦は土日、祭日に限り、平日は選手を軍需工場に“集団就職”させて徴用を回避。プロ野球は生き残るための綱渡りを続けたが、文部省が管轄する中等野球、大学野球は中断に追い込まれた。大学の中には野球用具を買い集め、天井裏や銃器庫に隠し“再開の時”に備えたチームも。

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photograph by Sports Graphic Number

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