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甲子園の風BACK NUMBER
元広島カープ選手が“町役場で勤務”の今…25年前、福岡の進学校・東筑から異例の高卒ドラフト指名「同志社大に進む話あった」進路決断ウラ側
text by

井上幸太Kota Inoue
photograph byJIJI PRESS
posted2026/11/05 06:00
2001年ドラフト会議で広島カープから5位指名を受けてプロ入りした山本翔
「しがみついて」学業と野球を両立
野球で頭角を現した山本少年は、学業でも上位層にいた。中学時代は「5段階評定で、平均『4』にいくか、いかないかくらい」の成績をキープしていた。そのころ、東筑の監督として3度の甲子園に出場し、福岡県内で「公立界の名将」と呼ばれていた喰田孝一の目に留まる。当時、喰田は公立校の教諭を定年退職し、北九州市教育委員会の職員として、市内の中学校を巡回指導していた。山本が思い起こす。
「喰田先生が来てくださって、『勉強できるんか?』って言われたんです。(各教科の評定を合計して)35ぐらいですかねえ、みたいに答えたら『もうちょっと頑張って東筑に行け!』と。そこから塾に行き出して、家庭教師も付けてもらって、『進研ゼミ』もやって。人生で一番勉強した気がしますね」
当時、東筑の推薦入試を突破するにあたって各教科の評定平均「4」程度が最低限必要とされた。不足していた分を埋めようと机に向かい、晴れて東筑に合格した。
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高校入学後、当初は「学年で真ん中くらい」の成績を収めていた。が、練習に打ち込めば打ち込むほど、学業成績は徐々に下降していった。それでも本人の言葉を借りれば、勉強にも「しがみついた」。
「東筑に入って、この世には『勉強せんでも頭がいいやつ』がいるんだと知りました。教科書をサラッと読んだだけで理解したりとか、頭の作りが根本的に違うなと思いましたね。毎日10問ぐらいの小テストが色んな教科であって、できなかったら追試。野球がやりたいので、なんとかしがみついて勉強もやっていた感じでした」
強肩強打の捕手として、広島のスカウトだった宮川孝雄の目に留まる。宮川は、緒方孝市、前田智徳といった九州の好素材を発掘し、広島に導いた名スカウトである。
同時に勉強に“しがみついた”ことで、指定校推薦で名門大学に進む選択肢も浮上した。指定校推薦は、大学から「この高校の生徒であれば信頼できる」と、過去の合格実績に応じて推薦枠が付与される制度。学内の評定などの推薦要件をクリアすれば出願が可能となる。
「同志社大に進む話あった」なぜプロに?
有力選手が強豪大学に進む場合、いわゆる「スポーツ推薦」での進学をイメージしがちだが、全員がそうとは限らない。スポーツ推薦枠が限られた大学も多く、それゆえ甲子園球児であっても指定校推薦を活用して進学するケースが往々にしてある。
東筑が持つ指定校推薦枠の対象校は、山本の時代も今も、惚れ惚れする充実ぶりだった。

