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「甲子園に届かなかった」明徳義塾の“苦難の時代”を経て…10年以上ぶりに見た名将・馬淵史郎の息子、馬淵烈の“驚きの姿”に感じた父の血 

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中村計

中村計Kei Nakamura

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photograph byTadashi Shirasawa/Kei Nakamura

posted2026/09/23 17:02

「甲子園に届かなかった」明徳義塾の“苦難の時代”を経て…10年以上ぶりに見た名将・馬淵史郎の息子、馬淵烈の“驚きの姿”に感じた父の血<Number Web> photograph by Tadashi Shirasawa/Kei Nakamura

明徳義塾高校・馬淵史郎監督(左)と、息子で拓殖大学野球部監督の馬淵烈(右)。選手たちに指示を出す姿がよく似ている

 交流試合の組み合わせ抽選が行われたのは7月8日のことだ。本番まで1カ月以上あるにもかかわらず、史郎は翌日から対戦相手に決まった鳥取城北の情報収拾を開始し、研究を重ねていた。

「交流試合といっても公式戦扱いやから。明徳の1勝としてカウントされる。勝ちにいかんわけにいかんやろ」

 そして、大会初日・第2試合で、明徳は鳥取城北に6−5で劇的なサヨナラ勝ちを収める。勝ちにこだわり抜いたからこそ生まれた筋書きのないドラマで、その試合にはスポーツが人を惹き付けてやまない理由が凝縮されていた。

「勝つことへの執念が違う」

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 その熱戦に刺激を受けたのは大会5日目に桐生第一と対戦し、3−2で勝利した明石商の監督、狭間義徳である。同監督は、烈の中学時代の恩師でもある。

「最初は、点差が開いたら(ベンチ入りメンバー)全員を使って勝つぞ、って言ってたんです。最後の9人になって、デッドボールで退場になったら0−9で負けてもかまわん、と」

 野球は出場できる選手が8人以下になるとリードしていても没収試合となり、0−9で負けたことになる。しかし、狭間は師と慕う史郎率いる明徳の試合を見て、考えを改めた。

「明徳はフォアボールで出るたび、盗塁しとったやろ。おれもあのピッチャーを見て、これなら走れると思った。馬淵さんは、ちゃんと調べとった。勝つことへの執念が違う。桐生第一のことを何も調べてなかったんやけど、明徳の試合を見てから映像を取り寄せた。そっからは毎日、寝不足になった。勝てたのは明徳のお陰ですよ」

 ともすれば、勝利への貪欲な姿勢は批判の対象にもなりうる。しかし、情に流されがちだったこの大会において、勝利を愚直に追い求める史郎の姿には、清々しささえ覚えた。

続く

#3に続く
「自分だったら…」拓殖大・馬淵烈監督が明かした、大バッシングを浴びた父・馬淵史郎監督「松井秀喜5連続敬遠」への本音
この連載の一覧を見る(#1〜3)

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